リレー日記

『私のマグネット』(4年芳賀千歌子)

2019.11.18

HP、Twitter、Instagramをご覧の皆様、こんにちは。
喜怒哀楽を最も分かち合ったであろう、加藤楓琳からバトンを引き継ぎました、環境情報学部4年マネージャーの芳賀千歌子と申します。彼女をありのままに紹介するとコンプライアンスに反してしまうのでやめておきますが、最低で最高な奴です。
リレー日記のタイトルは非常に悩みました。一時は冗談抜きに「チカチュウ誕生秘話」にしようかと思いましたが、友人の指摘でやめました。ということで本題に入りましょう。
それではお聴きください、芳賀千歌子で、「私のマグネット」♪

 「何で私のマグネットがあるのだろう。」
入部当初、初めて作戦ボードを見たときに思った。そう、2年の5月の途中入部から間もなく、部の作戦ボードには「ちかこ」と書かれたマグネットがある。そのマグネットはベンチの位置からずっと動かないが、ボードを見る度についつい確認してしまう。そんな私のマグネットももうすぐ席を外すことになった。

 人は、何かを失いそうになる時、初めてその大切さに気付くのだと言う。
まあ、そんなことよく言われていることだし、「いつでも何事に対しても感謝してすべきだ」と軽く思っていた。が、やはり意識していても何かを失うその都度、惜しく感じてしまう。先日、まさにそうだった。
大学リーグ最終節、東京国際大学戦。0-0で引き分け。結果1部9位に終わった。つまりインカレ出場の道が絶たれた。関東リーグが入れ替え戦に回らない限り、12月8日の大学リーグ1部2部入れ替え戦で私はサッカーの第一線から離れることとなった。
悲しいとか悔しいとか決まった直後に実感することが出来ず、頭の中が空っぽになった気がした。ベッドの中、すっからかんの頭に浮かぶのは、「暇になったら地元の出身少年サッカーチームの手伝いに行こうかな」とか「子供ができたらいっぱいサッカーしたいな」とかそんなフワフワしたことだった。いや、なんでこんなこと考えてんだ私。今日は目標が達成出来なかった日だぞ。今のことを考えろ。まだ終わってないぞ。馬鹿じゃないの。涙が出て初めて気付く。ああ、私サッカーの第一線から離れるという事実を受け入れたくないんだな。眠りに付きながら、これまでを振り返る。

 7歳の頃、たまたま少年サッカーチームに入った。理由は近所の男の子に紹介されたから。かつての幼馴染は放課後、サッカーボール片手にいつも私の家の玄関の前で呼び出す。早くサッカーするぞと。
実際は、サッカー半分、残りの半分は虫捕りやらゲームやら鬼ごっこやらをして夕方まで外で何人かと遊び呆ける。木に靴が引っかかって泣いたり、サッカーのゲームでは明らかに不公平なチームを組まされて揉めたり、でっかいカマキリを捕まえたり、マンションで鬼ごっこをして管理人に怒られたり。ボールを隠されたり隠したりで喧嘩したり。そんな感じで、正直放課後はサッカーの練習だけしていた訳ではないが、どんな場面でもサッカーボールが側にあった。毎日が冒険の様で本当に楽しかった。7歳の私はこれからの人生で輝く原石を拾っていたのだ。友達だけでもだめ、サッカーボールだけでもだめ、2つあって初めてその原石は輝き始める。その原石の居場所を教えてくれた両親とサッカーチームのコーチには本当に感謝している。
【サッカーは楽しい。友達といるのは楽しい。】小学校はこんなことを教わった。

 高校サッカー。物心がついたせいか、苦しいと感じることが多かった。練習はキツい。授業は眠い。勉強もキツい。家も遠い。夜も遅い。怪我も治らない。同期も決して優しくはなかった。9割の時間は苦しんでいたと思う。しかし、たまにシュートを決めたり、敵を交わしたり、勝ったり。一握りの嬉しい瞬間は、9割の苦の時間をも忘れさせる。たった一瞬の為に、苦しみ、もがく必要があったのだろう。そして何でも言ってくれる同期がいた。放課後プリクラを撮ったり、食べ歩きをするようなイケてるJKにはなれなかったが、全力でサッカーをして全力でふざけて全力で怒って全力で笑い合える仲間に出会えた。
【嬉しい瞬間の為にはもがき続ける。決してやめない。文武両道。そんな中出会えた仲間は一生の仲間】高校サッカーで得たことはこれ。

 身体も良くないしサッカーは高校までが限界だった。「大学サッカー」という選択肢はないものとしていた。そんな大学1年生の頃は予備校のチューターとか球場のビール売り子など、アルバイトに励んでいた。でも、なんか違う。そう思った私は少年漫画の読み過ぎかと思われるが、「仲間が欲しい!」と意気込み、主将の工藤真子の紹介でソッカー部にマネージャーとして飛び込んだ。

 これまで自分本意に生きてきた私にとって、マネージャーの世界は修行のようだった。去年の私のリレー日記「マネージャー三箇条」(http://keio-soccer.net/diary/10910.html)からは私が苦しんでいる状況が生々しく伝わってくる。いつも練習中はマネージャーが作業する部屋(通称:マネ部屋)で1人で仕事をしている。たまに様子を見に窓から外を覗くと皆息を切らして、冬場でもキラキラとした汗を流して、サッカーをしている。しかし、焦点をずらして、冷たい窓に写るのは、熱くも苦しくもない、どこか冷め切った自分の顔。そんな自分を見る度に、孤独さと虚しさを感じた。「仲間が欲しい」って入部を決めた私は正しかったのかな?マネ部屋という空間に私だけ閉じ込められている気がした。そんな時期があった。それでも「頑張ろうよ」と、手を差し伸べてくれた「仲間」がいてその暗いトンネルを抜け出すことが出来た。正直この頃の記憶は余り思い出したくないのだが、受け入れよう。

 部員は覚えているだろうか、ラストシーズンの始まる前のミーティングで「副務やる!」と勢い余ってしてしまった爆弾発言を。まあ勿論皆反対。私1人で回すマネージャー業で精一杯だったし。そもそもキャパシティないし。でも何故この発言をしたのか、理由はあった。いつもグラウンド外で最終的に責任を負うのは主務だった。サッカーをしない部員は私しかいないのに、最終的に問題が起こったときに怒られるのは選手の主務だ。そんな時、「ごめん」しか言えないのが辛かった。情けなかった。でもよくよく考えると役職の有無に甘えていた自分がいた。私はマネージャーとして主務副務に最終的に負担が掛からないように自分のスキルを上げるべきなんだなと思い、反省した。

 そんな感じで始まったラストシーズンは間もなく再び暗いトンネルに入ることになった。5月から8月まで、本気で笑えない日々が続いた。詳しいことは書けないけど、色んな問題が起こった。今後の運営に関して、私が後輩に迷惑を掛けてしまったことも。学年間、学年内で対立があったことも。部活以外のことも何もかもダメだった。体重が8キロも落ちてしまい、久々に会った友人皆に心配された。ここに来て初めて自分の弱さを知ることとなった。けど、もう引き返せない。なぜ、私のマグネットが作戦ボードにあるのか、それはチームの一員として、戦力として最後まで闘うからだ。私は前を向いて、最後までみんなを支える。最後まで真っ直ぐでありたい。勝って、みんなで喜びたい。アイツのシュートが見たい。アイツのドリブルが見たい。そんな思いを捨てようなんて一切思わなかった。一度自ら決めたことは最後までやり切るという信念があったから、もがきながら、倒れそうになってもみんなの手を借りながら、少しずつ立ち直った。

 大学サッカーで、何を学んだ?マネージャーとして、何を学んだ?まだ完結していないが、1つだけ確かなことがある。【誰かの為に何かをすることは温かい気持ちになれる。】高校まではただ熱くなることはできた。しかし、「誰かの為に」という視点は私に、温かい光を灯してくれた。熱さと温かさをこれからは大切にしたい。

「インカレ優勝」を目標としていたのにインカレ出場すら叶わなかった。しかし、今はスパイクを履いて汗を流してピッチを駆け回っている選手の為に、ここで成長させてもらった(まだ発展途上だが)恩返しの為に、私は心で汗を流す。気付けばサッカーでできていた私。大切なことは殆どサッカーから教わった。本当に最後の全力サッカー。私は最後に、何を得るか。ラスト1ヶ月。駆け抜けよう。作戦ボードから私のマグネットが外されるまで、選手と一緒に。

 逆境の多かったこのシーズンもあと1ヶ月程で終わってしまいます。しかし、どんな時も私に勇気と希望を与えてくれた選手を、どうか最後まで応援していただけると幸にございます。
長い文章にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

『私が最初にググった言葉は、「粗相」です。』(4年加藤楓琳)

2019.11.06

圧倒的OG感を漂わせ、チームの大黒柱として活躍する中井里衣子からバトンを引き継ぎました。総合政策学部4年の加藤楓琳と申します。
長く拙い文章ですが、私が最後に書きたいことを気持ちを込めて書かせていただきます。

「プロサッカー選手になる!」4歳からボールを蹴り始めた私は、小学生から本格的にサッカーを始め、当時プロ化されていない女子サッカーの現状も知らずただひたすら夢を追いかけてきました。中学では兄と同じクラブチームに入団し、高校では強豪校、常盤木学園に進学しました。

しかし、そんな夢もいつしか「兄を超えたい、褒められたい」という承認欲求を満たす為のツールになっていました。何故私はサッカー選手になりたかったのだろうか。何故サッカー選手でなければいけないのかと、自分自身と向き合う日々が続きました。高校選手権で思う様な結果が残せなかったことに加え、サッカーを辞める勇気がなかった私は「ここまで自由にやらせてくれた両親に、今までのサッカー人生でお世話になった人に恩返しをする」という目的を持ち大学でサッカーを続ける選択をしました。

入部後、私が最初にググった言葉は、「粗相」です。
ここではサッカーをこなすだけの選手はいらない。プロサッカー選手になることを諦めた私が成長する上で、ソッカー部はベストな環境だったのかもしれません。ただ、本当にしんどかった。
1年目、「辞めます」と言ったら、「それは受け入れられない」と岩崎監督に突き返されました。
4年目、学生ミーティングを抜け出し、伊藤監督に「辞める」と言いに行きました。でも、言えなかった。
私は「辞める」このたった3文字が言えなくなった3年半で、表現しきれない程沢山の感情と大切なものを見つけました。

入部して約1ヶ月、サイドバックとして公式戦に出場していた私は「粗相」で干されました。入部最速で粗相という単語を覚えたのは私だと思います。同期には連帯責任で迷惑を掛けまくりました。ごめんなさい。しかし、何故、サッカー部なのにサッカーが出来ないのか。何故、試合当日3時間前から掃除をして疲れなければならないのか、疑問しかありませんでした。他にも様々な思いや疑問がありましたが、まとめると、こんなところでサッカーをしても楽しくない、そんなサッカーで私の目的を果たせる訳が無いと思い、監督に「辞める」と言いました。しかし、「それは受け入れられない」と突き返され、1週間休んでいいからOGや色々な人と話してと言われました。当時は分かりませんでしたが、明確な目的・目標も持たず、ここでは果たせないと決めつけ辞めようとした私を止めてくれた監督や先輩方に、今ではとても感謝しています。そして「学生なんだから中途半端でいいんだよ、やりながら探せばいい。」そう言ってくれた先輩の一言で私は「この部でサッカーをする意味を、やりながら探す」ことに決めました。
しかし、ただひたすら夢を追う生活から一転、サッカーをしながらその意味を探す毎日はとてつもなく苦しい日々でした。

そこからチームは降格と昇格、インカレ初勝利を経験し、私はいくつかの粗相と怪我を乗り越え、気付けば最終学年という現実が迫っていました。
そして迎えたサッカー人生19年目となる最後の年、今年3月に私はGKに転向しました。少し飛躍してしまったので当時の状況をまとめます。

GKが不在である
インカレ優勝というチーム目標
私の目的

私はこの3つの課題を解決する為にGKに転向しました。簡潔に書きましたが、勿論、死ぬほど苦しみました。就活解禁は3月1日、就活なんてしていられませんでした。泣きながら書いたESは締め切りが間に合わず、本社まで走って持って行ったこともありました。面接対策をしてもらう度OB・OGの方々に泣きっ面を晒していました。食べられず眠れず考えるだけで涙が溢れてくる、それでも悩み抜いて出した答えが「GKになり、このチームでインカレ優勝する、最高のチームにする。」というものでした。
やりたいとか、やりたくないとか、そんなんじゃなくて。私はどう在りたくてどんな人間になりたくて、絶対に譲れないものは何なのか。

GKになり試合に出れる保障もないですし、サッカー人生最後の年、センターバックとしてDFを引っ張りたい想いもありました。それでも、センターバックで培ったキック力やコーチング、やると決めたらやり抜く信念、私の強みを活かせたならば、他のチームにはないストロングポイントになるのではないか?
私がGKになることで、総和としてチームが強くなる可能性があるならば、GK不在という課題そのものだけでなく、インカレ優勝という目標に対しても最適な手段なのではないか?つまり、それは「ここまで自由にやらせてくれた両親に、今までのサッカー人生でお世話になった人に恩返しをする」という私の目的を果たすことにも繋がるのではないか?

私がGKになった理由はこんなところです。
しかし、こんな強い思いを抱いてGKになったものの、失点するかしないか、その苦しみはGKをやってみなければ分からない程辛いものでした。試合に負ける度、「失点しなければ負けない」という言葉が重くのしかかりました。「失点した時こそ立ち振る舞いに気を付けろ」と、嫌という程いとペーさんに言われました。他大学の選手や友人から「なんで楓琳がGKやってるの?試合出てたのに勿体無い。」そう言われる度、言葉に詰まる私が居ました。チームメイトに苛立ってしまう自分が嫌で練習中に泣き出してしまうこともありました。コーチ、しお、困らせてごめんなさい。
こんなチームの為にGKになった覚えは無いと言い捨て泣きながら帰ったこと、次の日には学生ミーティングを抜け出し、いとペーさんに「辞める」と言いに行ったこともありました。でも、言えなかった。それは何故なのか。それは、この数ヶ月がとてつもなく辛く苦しかった一方で、何よりも大切なことに気付くことが出来た瞬間だったからです。
「この部でサッカーをする意味」
ずっと探していたこの問いに対する答えです。どんなに下手な私にも自分の時間を削り教えてくれるコーチがいて、私がとてつもなく不機嫌な態度をとっても妥協せず指導してくれる監督がいる。指の靭帯を切りお揃いのテーピングを巻きながら競い合う仲間がいて、こんな粗相ばかりの後輩の試合を見に来てくれる先輩、前監督・コーチ、沢山の応援をして下さる方がいる。「楓琳が決めた事なら全力で応援する」と言い居酒屋で一緒に号泣してくれた親友。そして「楓琳なら最高のGKになれるよ」とメッセージをくれた父。GKになると伝える以前に「1番高いGKグローブ買ってあげる」と言って結局買ってくれなかった母。背中を押して欲しくて電話したのに励ますどころか何故何故と面接官かのように問い詰めてきた兄。
私を作り上げてくれた大切な人達に感動という形で恩返しをする事。それは、あの時辞めずに過ごした日々があるからこそ、ここでしか成し遂げられないこの部でサッカーをする意味となりました。
だから私は、止める事を当たり前にしなければならない。ストロングポイントをもっと磨かなければならない。誰よりも努力し誰よりも成長し、このチームの最後方から勝利に貢献する。
こんな後輩で、こんな先輩で、こんな同期ですみません。でも、あと少し、全員で戦い抜こう。インカレへの道は決して簡単ではないけれど、この1週間を勝つ為に尽くそう。辛くて泣くのも、悔しくて泣くのも、苦しくてどうしようもなくて泣くのも、もう十分だ。勝って泣こう。絶対みんなで最高の景色を見よう。

11月10日(日)13:00、ホームで関東大学女子サッカーリーグ最終戦があります。インカレ出場を懸けた大事な一戦です。是非会場まで足をお運びいただき、皆様のお力をお貸しください。全員で圧倒的な勝利を掴みます。応援の程宜しくお願い致します。

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