リレー日記

『私のマグネット』(4年芳賀千歌子)

HP、Twitter、Instagramをご覧の皆様、こんにちは。
喜怒哀楽を最も分かち合ったであろう、加藤楓琳からバトンを引き継ぎました、環境情報学部4年マネージャーの芳賀千歌子と申します。彼女をありのままに紹介するとコンプライアンスに反してしまうのでやめておきますが、最低で最高な奴です。
リレー日記のタイトルは非常に悩みました。一時は冗談抜きに「チカチュウ誕生秘話」にしようかと思いましたが、友人の指摘でやめました。ということで本題に入りましょう。
それではお聴きください、芳賀千歌子で、「私のマグネット」♪

「何で私のマグネットがあるのだろう。」
入部当初、初めて作戦ボードを見たときに思った。そう、2年の5月の途中入部から間もなく、部の作戦ボードには「ちかこ」と書かれたマグネットがある。そのマグネットはベンチの位置からずっと動かないが、ボードを見る度についつい確認してしまう。そんな私のマグネットももうすぐ席を外すことになった。

人は、何かを失いそうになる時、初めてその大切さに気付くのだと言う。
まあ、そんなことよく言われていることだし、「いつでも何事に対しても感謝してすべきだ」と軽く思っていた。が、やはり意識していても何かを失うその都度、惜しく感じてしまう。先日、まさにそうだった。
大学リーグ最終節、東京国際大学戦。0-0で引き分け。結果1部9位に終わった。つまりインカレ出場の道が絶たれた。関東リーグが入れ替え戦に回らない限り、12月8日の大学リーグ1部2部入れ替え戦で私はサッカーの第一線から離れることとなった。
悲しいとか悔しいとか決まった直後に実感することが出来ず、頭の中が空っぽになった気がした。ベッドの中、すっからかんの頭に浮かぶのは、「暇になったら地元の出身少年サッカーチームの手伝いに行こうかな」とか「子供ができたらいっぱいサッカーしたいな」とかそんなフワフワしたことだった。いや、なんでこんなこと考えてんだ私。今日は目標が達成出来なかった日だぞ。今のことを考えろ。まだ終わってないぞ。馬鹿じゃないの。涙が出て初めて気付く。ああ、私サッカーの第一線から離れるという事実を受け入れたくないんだな。眠りに付きながら、これまでを振り返る。

7歳の頃、たまたま少年サッカーチームに入った。理由は近所の男の子に紹介されたから。かつての幼馴染は放課後、サッカーボール片手にいつも私の家の玄関の前で呼び出す。早くサッカーするぞと。
実際は、サッカー半分、残りの半分は虫捕りやらゲームやら鬼ごっこやらをして夕方まで外で何人かと遊び呆ける。木に靴が引っかかって泣いたり、サッカーのゲームでは明らかに不公平なチームを組まされて揉めたり、でっかいカマキリを捕まえたり、マンションで鬼ごっこをして管理人に怒られたり。ボールを隠されたり隠したりで喧嘩したり。そんな感じで、正直放課後はサッカーの練習だけしていた訳ではないが、どんな場面でもサッカーボールが側にあった。毎日が冒険の様で本当に楽しかった。7歳の私はこれからの人生で輝く原石を拾っていたのだ。友達だけでもだめ、サッカーボールだけでもだめ、2つあって初めてその原石は輝き始める。その原石の居場所を教えてくれた両親とサッカーチームのコーチには本当に感謝している。
【サッカーは楽しい。友達といるのは楽しい。】小学校はこんなことを教わった。

高校サッカー。物心がついたせいか、苦しいと感じることが多かった。練習はキツい。授業は眠い。勉強もキツい。家も遠い。夜も遅い。怪我も治らない。同期も決して優しくはなかった。9割の時間は苦しんでいたと思う。しかし、たまにシュートを決めたり、敵を交わしたり、勝ったり。一握りの嬉しい瞬間は、9割の苦の時間をも忘れさせる。たった一瞬の為に、苦しみ、もがく必要があったのだろう。そして何でも言ってくれる同期がいた。放課後プリクラを撮ったり、食べ歩きをするようなイケてるJKにはなれなかったが、全力でサッカーをして全力でふざけて全力で怒って全力で笑い合える仲間に出会えた。
【嬉しい瞬間の為にはもがき続ける。決してやめない。文武両道。そんな中出会えた仲間は一生の仲間】高校サッカーで得たことはこれ。

身体も良くないしサッカーは高校までが限界だった。「大学サッカー」という選択肢はないものとしていた。そんな大学1年生の頃は予備校のチューターとか球場のビール売り子など、アルバイトに励んでいた。でも、なんか違う。そう思った私は少年漫画の読み過ぎかと思われるが、「仲間が欲しい!」と意気込み、主将の工藤真子の紹介でソッカー部にマネージャーとして飛び込んだ。

これまで自分本意に生きてきた私にとって、マネージャーの世界は修行のようだった。去年の私のリレー日記「マネージャー三箇条」

からは私が苦しんでいる状況が生々しく伝わってくる。いつも練習中はマネージャーが作業する部屋(通称:マネ部屋)で1人で仕事をしている。たまに様子を見に窓から外を覗くと皆息を切らして、冬場でもキラキラとした汗を流して、サッカーをしている。しかし、焦点をずらして、冷たい窓に写るのは、熱くも苦しくもない、どこか冷め切った自分の顔。そんな自分を見る度に、孤独さと虚しさを感じた。「仲間が欲しい」って入部を決めた私は正しかったのかな?マネ部屋という空間に私だけ閉じ込められている気がした。そんな時期があった。それでも「頑張ろうよ」と、手を差し伸べてくれた「仲間」がいてその暗いトンネルを抜け出すことが出来た。正直この頃の記憶は余り思い出したくないのだが、受け入れよう。

部員は覚えているだろうか、ラストシーズンの始まる前のミーティングで「副務やる!」と勢い余ってしてしまった爆弾発言を。まあ勿論皆反対。私1人で回すマネージャー業で精一杯だったし。そもそもキャパシティないし。でも何故この発言をしたのか、理由はあった。いつもグラウンド外で最終的に責任を負うのは主務だった。サッカーをしない部員は私しかいないのに、最終的に問題が起こったときに怒られるのは選手の主務だ。そんな時、「ごめん」しか言えないのが辛かった。情けなかった。でもよくよく考えると役職の有無に甘えていた自分がいた。私はマネージャーとして主務副務に最終的に負担が掛からないように自分のスキルを上げるべきなんだなと思い、反省した。

そんな感じで始まったラストシーズンは間もなく再び暗いトンネルに入ることになった。5月から8月まで、本気で笑えない日々が続いた。詳しいことは書けないけど、色んな問題が起こった。今後の運営に関して、私が後輩に迷惑を掛けてしまったことも。学年間、学年内で対立があったことも。部活以外のことも何もかもダメだった。体重が8キロも落ちてしまい、久々に会った友人皆に心配された。ここに来て初めて自分の弱さを知ることとなった。けど、もう引き返せない。なぜ、私のマグネットが作戦ボードにあるのか、それはチームの一員として、戦力として最後まで闘うからだ。私は前を向いて、最後までみんなを支える。最後まで真っ直ぐでありたい。勝って、みんなで喜びたい。アイツのシュートが見たい。アイツのドリブルが見たい。そんな思いを捨てようなんて一切思わなかった。一度自ら決めたことは最後までやり切るという信念があったから、もがきながら、倒れそうになってもみんなの手を借りながら、少しずつ立ち直った。

大学サッカーで、何を学んだ?マネージャーとして、何を学んだ?まだ完結していないが、1つだけ確かなことがある。【誰かの為に何かをすることは温かい気持ちになれる。】高校まではただ熱くなることはできた。しかし、「誰かの為に」という視点は私に、温かい光を灯してくれた。熱さと温かさをこれからは大切にしたい。

「インカレ優勝」を目標としていたのにインカレ出場すら叶わなかった。しかし、今はスパイクを履いて汗を流してピッチを駆け回っている選手の為に、ここで成長させてもらった(まだ発展途上だが)恩返しの為に、私は心で汗を流す。気付けばサッカーでできていた私。大切なことは殆どサッカーから教わった。本当に最後の全力サッカー。私は最後に、何を得るか。ラスト1ヶ月。駆け抜けよう。作戦ボードから私のマグネットが外されるまで、選手と一緒に。

逆境の多かったこのシーズンもあと1ヶ月程で終わってしまいます。しかし、どんな時も私に勇気と希望を与えてくれた選手を、どうか最後まで応援していただけると幸にございます。
長い文章にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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