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2024.05.14 部員ブログ

『恩返し』(1年 宮嶋ひかり)

リレー日記をご覧の皆様、はじめまして。

笑顔がチャームポイントでいつもみんなの心を和やかにしてくれる一方で、試合ではピッチのどこにでも現れる脅威の体力の持ち主である同期の米口和花からバトンを引き継ぎました。環境情報学部1年の宮嶋ひかりと申します。のんちゃんこれから一緒に「アレ」目指して頑張ろうね。

今回、初めてのリレー日記ということで、自己紹介も兼ねてこれまでの12年間のサッカー人生を振り返って感じたことを綴らせていただきます。拙い文章ですが、お付き合いいただけると嬉しいです。

私がサッカーを始めたのは小学1年生。幼稚園の頃、仲の良かった友達がみんなサッカーをしていてその流れに乗ってやってみたことがきっかけでした。初めはサッカーのことは何もわからず、体験の時にはそれまでもサッカーをしていた友達に怒られたりして怖くて泣いていました。それでもサッカーをやると決めたのは、それ以上にみんなとボールを追いかけることが楽しかったからだと思います。私は小学2年生の時に引っ越しにより新たなチームを探すことになりました。近所のチームをいくつか見たり、体験に行ったりしましたが、迷うことなく小学生の頃お世話になったチームに入ることを決めました。その理由はただ一つで、そのチームには知り合いがいなかったにもかかわらず、それでもただただ一番楽しかったからです。その5年間通った地元のチームは決して強くはありませんでしたが、とにかくサッカーの楽しさをたくさん教わりました。私がこれまでサッカーを続けているのは、悔しい時、苦しい時もそのチームで学んだ楽しさが初心を思い出させてくれているからだと思います。

みんなと仲良く平和にサッカーをしていた中、小学5年生の時に父からジェフユナイテッド市原・千葉レディースのセレクションを申し込んだことを知らされました。その頃の楽しい環境にとても満足していたし、人見知りである私にとって知らない場所で知らない人たちとサッカーをするということにとても抵抗があり、そのセレクションに行くことをとても嫌がっていたことを覚えています。地元のチームには私以外女子はおらず、それまで女子とサッカーをしたこともほとんどなかったため、自身がどのレベルなのかも全くわかりませんでした。それでもセレクションでは5年生にもかかわらず、ありがたいことにその後何度も練習に呼んでいただき、6年生で再び受けたセレクションで合格をいただくことができました。

中学生になり、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースU-15に入団し、ここから私のサッカー人生を大きく変えた6年間が始まりました。中学1年生の頃は環境がガラリと変わったことで、練習がしんどかったりなかなか試合にも出られずに辛いこともたくさんあり、身も心もボロボロでした。それでも中学2年になった時に監督が代わり、私自身サッカーの見方も大きく変わりました。そこで初めて戦術というものを詳しく知り、ボールを蹴るだけではなく、考えてプレーすることの楽しさを感じました。中学3年間では輝かしい成績は残せなかったものの、全国大会には2度出場することができ、高いレベルでプレーすることの難しさだけでなく、周りからの良い刺激をたくさん得ることができました。高校に上がってもジェフでプレーさせていただけることになり、中学生の頃とはまたひとつ違う環境でしたが、中学3年間で身につけたメンタルで、周りに流されることなく自分のプレーを貫くことができ、高校1年から試合に出させていただいていました。もちろん試合に勝てないなどチームや個人としての改善点はたくさんあったものの、高校生になってからはほとんどの試合に出場させていただき、高2、高3の時には第3キャプテン、副キャプテンを務めさせていただき、高3の夏までは思いっきりサッカーをすることができていました。

しかし高3の11月、選手権関東予選の前日に左膝の痛みにより昨日まで痛みがありながらも普通にできていたサッカーができなくなった、それどころか走れなくなってしまい、離脱を余儀なくされました。関東大会はチームメイトに託すことを決めたものの、年始にある全国大会にはなんとしても出場したい。その想いだけが私の心にありました。ですが、そんな想いとは裏腹に初めはジョギングすらできず、自分がまたジェフのユニフォームを着てプレーする未来が見えない現実に不安で不安で仕方なく、そのことを考える度に一人で涙を流していました。もうこのチームのために闘うことができないのではないかと絶望していた私を再び前に向かせてくれたのは高校の先生がかけてくれた言葉でした。

「なんとかなる」

よくある普通の言葉でしたが、その時の私にはとても心に響きました。へこんでいても仕方がない。まだ復帰できないことが決まったわけでもない。とりあえずできることから少しずつやるしかない。この言葉を胸にしんどいリハビリにも日々取り組みました。そのおかげで目標としていた全国大会の舞台になんとか立つことができました。先生だけでなく、一番近くでサポートしてくれて毎日リハビリメニューを考えてくださったトレーナーさん、「待ってるよ」って声をかけてくれるチームメイト、復帰を願ってくれる友達、そして静かに見守り誰よりも心配してくれていた家族、その他にも私の周りには支えてくださる方がたくさんいました。この挫折で改めて自分が本当に恵まれた環境の中でサッカーができていることを実感し、応援してくださっている方がたくさんいて、その方々にプレーで恩返しがしたいという想いがより一層強くなりました。

慶應ソッカー部女子に入部して1ヶ月ちょっとが経ちます。まだリハビリにより慶應のユニホームを着てプレーすることはできていませんが、支えてくれている方々にまたプレーしている姿を見ていただけるようこれからも完全復帰を目指して日々取り組んでいきます。

次は、入学早々単位を絶対に落とせない崖っぷちにいながらも授業がみんなよりも少ない今を全力で楽しんでいる、私とは7年目の仲である同期の高松芽衣にバトンを託します。

長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。今後とも、慶應ソッカー部女子のご支援ご声援のほどよろしくお願いいたします。

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