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2024.05.27 部員ブログ

『出会い』(1年 田中紗莉)

リレー日記をご覧の皆様、初めまして。

普段は、明るく高い地声と独自のマインドで周囲を明るくしてくれ、ピッチでは、気の利いたプレーや前線でボールを収める安定したプレーで攻撃の起点を作り出し、開幕戦から存在感を発揮している同期の髙松芽衣からバトンを引き継ぎました。総合政策学部1年の田中紗莉と申します。

芽衣、これからもおもれー話たくさんしようね。

 

入部して2か月が過ぎようとし、先日私の19歳の誕生日を迎えたということで、これまでの自分自身について振り返りながら、慶應ソッカー部女子での私の4年間の目標について述べさせていただきます。拙い文章ではありますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 

私はこの慶應ソッカー部女子での4年間を、これまでサッカーを通して出会えた方々、私を支えてくれた方々への感謝の気持ちを体現する4年間にしたいと考えています。このように考える背景には、サッカーを始めたときから今に至るまでの苦悩や葛藤、成功体験などの経験と共に出会えた方々の存在があります。

 

父の影響で幼い頃からサッカーが身近にある環境で育った私は、中学生になる時にサッカーを始めました。小学生の頃は何度もサッカーを始めるきっかけはあったものの、同級生にサッカーをしている女の子がいなかったり、小学生の途中からチームに入るのは遅いと考えていたりして新しいことを始めることを恐れ、何かと理由をつけて一歩踏み出せずにいました。小学6年生の時に何部に入るのかという話題から、サッカーを始める最後のチャンスであることを感じ、部活には入部せずにサッカーを始めることを決めました。昔から自信がなく自分の意思を伝えるのが苦手だった私は家族や幼馴染にでさえ、サッカーをしたいと伝えるのに時間がかかりました。なかなか言い出せず、父の部屋の前や家中をうろうろしながらもやっとの思いでサッカーがしたいと父に言えた時は、自分の殻をやぶれたような気がして今でもはっきりと覚えています。

 

そこから初心者でも入れるクラブチームを見つけサッカーを始めました。当初は、選抜経験のある子や小さい頃から男子チームでサッカーをやってきたことのある子ばかりで、誰よりも下手くそであった私は目も合わず、パスももらえない。人生で初めて感じた大きな劣等感に、練習中涙をこらえることもよくありました。それでも必死に練習をして、中学2年生になる時のカテゴリー分けで成長枠ではありましたが、県リーグ1部に所属するトップチームに入らせていただきました。その年、私は試合に出ることはほとんどありませんでしたが、チームは無敗で県リーグ1部優勝を成し遂げました。その後も努力を続け、中学3年生の頃には副キャプテンに選んでいただき、多くの経験を積ませていただきました。そんな環境に私を置いてくださった監督やコーチ、たくさんの刺激を与えてくれた先輩方、ともに切磋琢磨し合いながら時にぶつかり、励まし合った22人の同期の存在があったからこそ自分に負けずに3年間必死に取り組むことができたと思います。

その中でも新しいカテゴリーで練習についていくのが精一杯、ただただサッカーに夢中になっていた中学2年の夏に、母を病気で亡くした私を大きく支えてくれたのは、同期の存在でした。それは夏休みが終わる頃、病院の窓からグラウンドが見えるような場所でのリーグ戦の日でした。朝から監督に連絡をし、試合の結果だけを聞いたことがわずかに記憶にあります。数日練習を休んだ後に復帰したものの、練習に集中できず思うようにできない事から何もかもうまくいかないような気がする、そんな気持ちでいっぱいでした。そのときの学年ミーティングにて、初めて誰にも言えていなかった自分の気持ちをぶつけることができました。同期は母に会ったこともなかったのに一緒に涙を流して、「一緒に頑張ろう」と声を掛けてくれました。ありきたりかもしれませんが、そんな同期がいてくれたからこそ前を向いてサッカーに向き合えるようになりました。今でも当時のことは胸が熱くなるほど鮮明に覚えています。

サッカーを始める前の自分だったら、自身と向き合うことなく言い訳をつけ簡単に諦めてしまったり、自分の気持ちを伝えたり表現することができないままであったと思います。サッカーを通して今でも仲良くしている同期や、お世話になっている指導者の方に出会い、自分自身が成長していることを実感できました。そして、さらなる成長を求めて高校生でも同じチームのユースでサッカーを続けることを決めました。

 

ユースでは監督も変わり、中学の頃に比べ大きく人数が減った環境に困惑しながらも、自分が学んだことのないサッカーの戦術や考え方を吸収していく感覚が楽しくてしょうがなく、サッカーがうまくなりたい一心で毎日の練習に取り組んでいました。1年生の頃は怪我を繰り返してしまい、別練習の時間が長く、中学生の頃からの同期が試合に出て成長する姿に焦りや悔しさを感じ、記録係をやりながらこっそり泣いて試合を見ていることもありました。その悔しさをばねに高校2年生の時はシーズンを通してスタメンで試合に出場し続けることができ、全国大会出場まであと一歩という場所までいくことができました。この1年間は尊敬する先輩と毎日自主練をしたり、トレーニングをして一緒に帰ったりした時間があったからこそ試合に出場し続け、サッカー選手として大きく成長することができたと思います。毎日遅くまで自主練に付き合ってくれた先輩や同期には感謝しかありません。高校3年生になってからは、かつて私が中学生の頃、選手として活躍されていた方が監督として指導してくださることになり、副キャプテンを務めさせていただきました。しかし、最後の1年間はサッカーをしたい思いと、怪我や進路のことなど考えなくてはいけないことに多く悩まされ、サッカーに集中できたのは大学合格が決まった秋頃からでした。高校3年生の夏には、今後の自分のサッカー人生のために足首の手術を受けることを決め、チームを離れる期間もありました。副キャプテンとしてチームに貢献できている気がせず悔しい気持ちもありましたが、中学生の頃からの同期であるキャプテンが、大きな怪我を乗り越え努力を続ける姿に勇気をもらい、私もリハビリをしながら進路を実現させ、最後の大会までキャプテンと共にサッカーを続けることができました。

中学、高校と輝かしい成果を上げることはできませんでしたが、最後の大会まで共に戦い続けてくれた明るくて騒がしい後輩達や、私を鍛え上げてくれた先輩方、夜遅い自主練まで見てくださった監督、トレーナー、誰よりも長い時間を一緒に過ごし努力を続けてきた同期の存在があったからこそ、たくさん悩みながらもたくさん学び、少しは自分に自信をもって発言、行動できる人になれたと思います。

そして何よりもサッカーをしたいと言ったあの日から、サッカーを続けさせてくれ、応援してくれて支えてくれている家族の存在があるからこそ、今の私があると感じています。

だからこそ私は、この慶應ソッカー部女子での4年間は自分自身の力を発揮し、まずは一部昇格という目標を達成して感謝の気持ちをプレーで体現していきたいです。

何もかも新しい環境についていくので精一杯で、またもや自分の自信のなさを痛感している毎日ですが、このままで終わりたくはないのでこれからも自身と向き合い続け、これまでよりも大きく成長し自信をもってピッチで戦う姿をお見せできるように日々努力いたします。

 

次は、私と当部体験練習の時から約1年ぶりの再会を果たし、ポジティブで前向きな姿勢に強みを持ち、少し抜けた一面がありながらも毎日の成長スピードがどんどん加速している同期の廣本瑞季にバトンを託します。

 

長くなりましたが最後までご覧いただきありがとうございました。今後とも、慶應ソッカー部女子のご支援のほどよろしくお願いいたします。

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