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2024.06.04 部員ブログ

『サッカー愛』(1年 廣本瑞季)

ホームページをご覧の皆様、初めまして。

可愛すぎる笑顔とガッツあふれるプレーが魅力的な白米大好き人間の田中紗莉からバトンを引き継ぎました、文学部1年の廣本瑞季と申します。すずり、感動の再会を果たせて誕生日も近くて、運命を感じてるよ。これからもたくさん食べてたくさんヘディングしようね。

今回は初めてのリレー日記ということで、先日誕生日を迎えた私の19歳に至るまでの軌跡を振り返り、今後の思いを綴らせていただきます。少し複雑なので文章が長くなってしまいましたが、最後までご一読いただけると嬉しいです。

私のスポーツ歴は少し変わっています。というのも小学校ではサッカー、中学ではテニス、高校ではバスケと3つのスポーツをしてきました。
小1の頃、2歳年上の兄の影響を受けて地元の男子チームでサッカーを始めた私は公園にも旅行にもどこに行くにもボールを持ち歩くほどのサッカー少女で、キャプテンを経験したり充実したサッカー生活を送っていました。しかし、中学では環境がなく、続けるつもりだったサッカーを断念。友達の誘いを受けテニス部に入部しますが、サッカーほどの楽しみを見出せずさぼってばかりいて、大事な育成年代である中学3年間を真剣にスポーツに打ち込まないまま過ごしました。そんな中で、毎日の唯一の楽しみだったのが「やっぱりサッカーがしたい」と中1の秋から通い始めたサッカースクールでした。週1回たったの2時間というわずかな時間ではありましたが、普段からサッカーをやっている人からの刺激を受けながら成長を実感し、テニス中に時計を何度も眺めるほど大好きな時間でした。
しかし中3になるとスクールが遠方に移転。サッカーが再びできなくなりました。両親への3度目にして最後の説得をするも望み叶わず。さらに高校でも続ける気力がなかったテニス部を引退。腐りに腐りきった私が選ばずして進んだ道は帰宅部でした。仲間もいないのに、試合もないのに一人で公園に行きボールを蹴る日々。ただただ積み上げてきた努力も成果も何もかもが崩れていくことが怖かったのです。

「このまま高校3年間帰宅部で過ごしたら絶対後悔する。サッカーができなくても何かやろう」
コロナ禍の長い夏にとことん自分と向き合い、ようやく現実を受け入れ始めた私は、秋、サッカーに似ているという理由でバスケの世界に飛び込みました。しかし中3の秋というのは幸か不幸か高校の練習に参加し始める時期。中高一貫校で高校入試がなく、中学バスケ部から持ち上がるため途中入部なのも初心者なのも私だけでした。40年以上バスケ部を指導している、厳しくも愛のある顧問の先生の下で緊張感のある練習をしている中、ルールから練習メニューまで全てが分からず、私のせいで練習が止まることは日常茶飯事。試合に出ればピンチを招き、中高合同練では中1に混じって教えてもらって、終わった人から上がるメニューではいつも最後まで残って、罰トレの常連で、目から汗が出そうなくらい苦しい経験を何度もしました。それでも、帰宅部時代の無気力感を思えば、仲間がいる。試合がある。見てくれて叱ってくださる先生がいる。ちょっとした成長に気が付いて褒めてくれる人がいる。ただそれだけで十分で、嬉しくて、なにより楽しくて仕方がありませんでした。
バスケを始めて2年も満たない高2の夏、まだ試合経験は乏しく、できることと言えば走ることぐらいだった私は、同期が3人しかいなかったために副キャプテンを任されました。ただでさえ性格的にしっかり者とは程遠く、常に何かが抜けているのに、知らないことがまだあった私は初心者として後輩と一緒に学びながらも、副キャプテンとして後輩に教えなければならず、説明している途中で自分も分からなくなってしまうことが多々ありました。技術面でもメンタル面でもたくさん苦しみましたが、頼もしい同期2人と後輩たちが助けてくれたおかげで何とかやり遂げることができ、同時にこの経験のおかげで観察力と吸収率をまた一段上げることができました。
こうしてバスケに没頭していた私はある時から練習の成果が目に見える形で現れ始め、そこから引退試合までほぼフル出場、試合を重ねるごとに上手くなっていくことを実感し、大学でバスケを続けようかとも思いました。それでも高1の時点で「大学ではサッカーをするんだ」と決めていた私はサッカーへの未練を捨てきれず、女子サッカー部ある大学を求めて附属大学の内部進学権を捨て本塾を目指すこととなりました。

このように、私のスポーツ歴はどれも中途半端です。そしてこの複雑なスポーツ人生の原点となっているのはサッカーで、サッカーに始まりサッカーで終われるというのは感慨深いものがあります。もちろん、正直に言えば昔より下手な自分を見るのは悔しいし、中高でやっていたら上手くなっていたかもしれないと思うと泣きたくなる時もあります。それでも私のスポーツ人生に後悔はありません。決して順風満帆ではなかったけれど、サッカーができなくて泣いたことも、「無駄な時間を過ごした」と後悔の念に襲われたことも、サッカーしかないと思っていた自分がバスケットボールという素晴らしいスポーツに出会えたことも、振り返れば全て今の自分の強さに繋がっていると感じます。今となっては懐かしいですが、サッカーウェアを着ている女子を電車で見かけると思わず目を背け、「サッカー続けてるの?」と聞かれる度に心を曇らせ、滑り台に向かってパスをしていたあの頃があるから、今こうしてチームがあり、グラウンドがあることへの感謝の気持ちは人一倍大きい自信があるし、その気持ちは4年間ずっと忘れてはいけないと思っています。
積み上げたものが崩れていく経験はもう3度目ですが、バスケをやって気付いたことは全部が崩れるわけではないということ。サッカーで培った体力をバスケに活かしたように、バスケで身につけたものも何かしらでサッカーに還元できるはずです。必死に練習したハンドリングもシュートももう活きることはないけれど、ドリブルのクイックネスとディフェンスは活かせるかもしれない。
サッカー選手として、バスケに注いだ時間を無駄と思うか。
「崩れた」と思うか。「さらに積み上げた」と思うか。
それはこれからの私次第です。複数の競技をしたから強くなれた。そう思えるよう、日々スポンジのように吸収し、精一杯努力をしていく所存です。そして今はみんなとは程遠いところにいるけれど、いつか、必ず、チームに貢献できる選手に成長してみせます。

次は、日頃から声でチームを鼓舞し、分からないことを聞くといつも丁寧に答えてくれ、試合ではサイドを駆け上がり攻撃の起点を作り出してチームに勢いを与えている頼もしい同期、岩田理子にバトンを託します。

長く拙い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。そして、これからも熱いご声援のほどよろしくお願いいたします。

 

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