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2024.10.28 引退ブログ

『積み重ねた先に』(4年 劔佳那)

ホームページをご覧の皆様、こんにちは。

長生きしそうランキング堂々の第1位、底知れない体力とエネルギッシュさの持ち主である3年中村美桜からバトンを受け継ぎました、環境情報学部4年の劔佳那と申します。

美桜は初心者ながらキーパーに挑戦した仲間であり、共に切磋琢磨してきました。気がつけばグラウンドで4時間以上練習するのが当たり前になり、今シーズンは間違いなく誰よりも一緒に時間を過ごしてきました。まずは、キーパーになるという決断をしてくれてありがとう。美桜とキーパーをやれて良かった。2人だからここまでやってこられた。心の底からそう思っています。

 

遂に引退ブログを書く時期がやってきてしまいました。チームで過ごす時間も、延々とくだらない話をしてきた同期と過ごす時間も残り僅かというのが未だに信じ難いです。

主将として円陣の掛け声をする際、毎回ズボンの紐が出ているせいでカッコよくなりきらない絢弥。同期であるまりカー(car)のヘビーユーザーである桜子。三田の授業を取りすぎてもはやSFC生ではない沙羅。部室から徒歩2分もかからないベーグル屋さんに行くのに「佳那自転車貸して〜」と猫撫で声でおねだりしてくる真理加。

AOで入学した人がおらずサッカー経験もまちまちな5人で、且つほとんどが大怪我を経験し、特に上級生としてチームを引っ張る上で多くの苦悩があった学年だったと思います。学年全員が揃って練習できた日は記憶の限りほとんどありません。怪我を抱えながらも、各々の立場でチームをどう引っ張るか、煩悶に煩悶を重ねてきました。残り1週間、最後の最後までチームの為に頑張ろう。そして、全員での試合出場、絶対叶えようね。

 

――

 

4年間を振り返って。

一言で言えば、「チームに何が出来るか」を問い続けた日々だった。

辛い事の方が多かった。けど、間違いなく言えるのは、入部して良かった、ということである。1年の夏にソッカー部に途中入部する事を決意し、すぐに女子部のInstagram宛てに練習見学を申し込んだ、あの時の自分に感謝している。

 

「なんで体育会に入ったの?」

中高の同級生によく聞かれた。私のサッカー経歴を知っている人からしてみれば当然湧き上がる疑問だろう。

サッカーとの出会いは中学1年生の頃。幼少期から兄のサッカーの試合観戦をしていて、サッカーには馴染みがあったものの、自分もやってみたいと考えた事は一度もなかった。入学した学校にたまたま女子サッカー部があったから、先輩が優しかったから、そんな理由で入部した。当時、3年生の先輩2人と1年生4人で部員は6人。チームでできる練習メニューといえば鳥かご、パス回しぐらいだった。

付属の高校に上がり、部員数が増え、女子だけで試合ができるようになった。しかし、高校からサッカーを始める人が大半で、コーチがいない中全員で協力しながら練習をしよう、というようなチームだった。3年の始めにコロナが流行し、突然学校が閉鎖、部活は停止となり、そのまま引退となった。

スタメン争いだとか、全国大会出場だとかそんな言葉とは無縁で、比較的のほほんとサッカー生活を送ってきた私と、数々の競争を乗り越え、遥か高いレベルでプレーしてきた選手が多く所属する大学の体育会ソッカー部など、結びつかないのは当然である。私自身、コロナで突然部活引退を迫られ、サッカーへの未練があったものの、当部の選手出身校欄にサッカー強豪校やクラブチームの名前がずらりと並んでいるのを見て、自分がそこに入るという選択肢は潜在意識下に排除していた。しかし、入学して数か月が経ち、熱心にサッカーに打ち込む環境で、志の高い仲間に出会える場所は体育会しかないと実感し、入部を決意した。

 

晴れて入部を果たし、素晴らしい環境で日々サッカーをする事ができ、小さな成長を積み重ねる事ができる喜びを感じるが、実践メニューでは周囲の選手とのレベル差を突きつけられ、自分のミスで迷惑をかけてしまう事に不甲斐なさを感じるばかりだった。また、これまで属してきたコミュニティとは大きく異なる、体育会という組織のもつ少し特殊な価値観や慣習に戸惑う日々が続いた。

環境に慣れ、これからもっともっと技術を磨いていこう。そう意気込む中で膝に違和感を覚え、半月板を手術。1年目を怪我で終えた。

(同時期に他大学のサッカー部に所属していた兄も半月板の手術をし、2人して松葉杖生活を送るという我が家の異例な出来事①と、退院後すぐにコロナにかかり、松葉杖&隔離生活になるという異例な出来事②は、今となってはいい思い出です。両親には多大なる迷惑をかけてしまいましたが、通院から日常生活まで手厚くサポートいただいたおかげで、今では何一つ不自由なくサッカーができています。ありがとうございます。)

 

長い長い8ヶ月にわたるリハビリの日々。2年のシーズンのうち大部分をリハビリ生活で終えた。ボトルに水を入れたり、ランメニューのタイム計測をしたり、チームのサポートをする事しかできず、自分自身がチームに何か価値をもたらす事が出来ているのかという問いに関しては明確な答えを持てずにいた。ただ自分の体と目の前のリハビリメニューに向き合い、復帰後により強くなった状態で練習に参加するという目標だけを掲げて日々を過ごした。2年の終盤、リハビリを経て強くなった体幹と少し速くなった足をもって復帰を遂げ、ようやくピッチ内でチームに貢献する地盤ができた。

 

上級生という立場になり、かなり遅れを取りながらもピッチ内で示せるよう技術を磨くことに必死になっていた。その時期に始まった、キーパーミーティング。これが私のソッカー部人生を大きく変える事となる。

ミーティングは、キーパーが4年の明日香さん(R4卒)1人しかいない状況を鑑みて、フィールドプレーヤーからキーパーを選んでほしい、という背景で行われた。皆フィールドプレーヤーとしての目標があり、誰一人としてキーパーをやりたい人はいなかった。キーパーを任せたい人を挙げていき、想いを共有していく中で、段々と私の名前を挙げる人が増えていった。感情の起伏がなくてキーパーに対してもコツコツ努力できる。チームへの想いが強い。そんな風に言ってもらえた事は嬉しかった。ただ、キーパーになるかもしれない、その実感が湧き上がる度にフィールドを続けたい想いが強くなり、皮肉なことに、フィールドとしてのコンディションは上がっていった。

キーパーミーティングは数か月に亘ったが、心の中でキーパーをやる、という決断をしきれずにいた。チームの為を思えばシーズンが始まる前に早く決めた方が良いに決まっている事はわかっていた。私がキーパーをやる、という決断をしないとミーティングが終わらないという事も。

どこか無理に前を向こうとしていた私を後押ししてくれたのは同期や後輩からの言葉だった。佳那ならやれる、成長できる、佳那さんがキーパーなら身を投げ出してまでゴールを守る。そこまで言ってくれるチームメイトの為にも、チームに貢献するという目標達成の為にも、キーパーとして成長する事が自分のやるべき事だ、と思った。

 

「心苦しいですが、佳那は、キーパーとしての準備をしてください。」監督であるテソンさんからのこのメッセージは未だに忘れられない。

4年間慶應のゴールを守り続けた守護神、明日香さんが引退し、キーパー不在となった。フィールドとキーパーという二足の草鞋を履きながら、明日香さんの背中を追いかけていた日々は終わり、キーパーに転向する事となった。

キーパーが1人、というのは思った以上に孤独だった。キーパーとして毎日練習をし、日々技術が向上するのを実感するのは楽しかったが、ふとフィールドの練習でパスを繋ぐ姿、連携してゴールに向かい、喜びを共有する姿が目に入ると、フィールドをやりたいという想いが頭をよぎってしまう事もあった。

しかし、そんな想いは一瞬で消え去った。6時半という朝早くの練習にも「佳那の為だから」と顔を出してくれた明日香さんや、沖縄遠征にまで帯同してくれて、誰よりも大きな声でサーキットを盛り上げてくれたのえさん(R3卒)、愛実さん(R4卒)の存在。ボールが蹴れない状態にもかかわらず、手投げでキーパー練習をしてくれた沙羅、葵。新参者を温かく受け入れてくださった男子部キーパーの皆さん、キーパーコーチの高橋さん。自分の為にここまで多くの方が支えてくれている。そのことが辛い時期も私を支えてくれた。

 

そして、沖縄遠征でのキーパーミーティングを経て、美桜がキーパーに加わってくれた。振り返ると、あのミーティングは自分のキーパーミーティングの時よりも辛かった。フィールドプレーヤーへの思いが強く、熱心に自主練に励み、チームの為に誰よりも行動してくれた美桜のこれまでの積み重ねを、奪いたくなかった。でも、キーパーとして成長できる人、チームがその人の為に頑張れる人、自分が任せたい人という観点において、これまでの行動とか積み重ねが推薦理由となってしまう事は避けられなかった。

 

改めて、決断をしてくれてありがとう。

 

「チームの為に何が出来るか」

キーパー2人で、切磋琢磨しながら成長する事。試合でゴールを守る事が出来る選手になる事。そんなことを目標として努力を重ねる中で、シーズン早々に指の骨折をしてしまった。キーパーを始めて間もない美桜を1人にさせてしまった上に、キーパーとしてチームに貢献するという目標が断たれてしまった。やっとのことでボールキャッチの許可が下り、出来るだけ早く復帰しようと基礎練習に励んでいた矢先、今度は反対の指を骨折してしまった。人生で1度も骨折した事がなかったのに、よりにもよって何故この時期に2度も骨折をするのか。テソンさんと高橋さんに怪我の報告の文章を打つ際、溢れそうになった涙は自分への呆れで引っ込んだ。

 

この時期がソッカー部人生の中でどん底だったと言える。

 

4年としてシーズン後期を迎え、「チームの為に何が出来るか」だけでなく、「何を残すか」についてもこれまで以上に考えなければならなかった。練習に参加できなかった期間、ピッチ外でチームに目を配り率先して行動する事、復帰に向けてコツコツ努力する事に取り組んできたが、正直チームに何が出来たかと言えば何もできなかったと思う。キーパーとして成長し、ゴールを守る選手になるというのが自分の中で最もチームに貢献できる事だったからである。

そんな時期を乗り越え、万全とは言えないものの、練習に参加できるようになった。骨折した箇所が持っていかれる度に、また骨折をしたのではないかという恐怖感に駆られたが、それ以上にプレーできる事が嬉しかった。

そして、ラスト4試合となった武蔵丘短期大学戦で、シーズン初出場を果たした。受験でも面接でも緊張をした事がなかったが、試合では緊張のあまり前半にクリアミスを繰り返してしまった。しまいには失点をしてしまい、「チームに貢献」とは程遠い現状が情けなかった。そんな私に前向きな声をかけてくれ、2得点をあげて勝利に導いてくれたチームメイトには感謝してもしきれない。4年間1度も勝った事のない相手に勝利する事ができ、この上ない喜びを感じたと同時に、今度はチームに勝利をもたらす事が出来るようなプレーをする、と心に誓った。

 

「チームに何を残せるだろうか?」

今になって少し答えが見えてきた気がする。キーパーに転向して1年、うち5か月ほど離脱していた私が、試合でビッグセーブをする事は難しいのかもしれない。でも、今できるプレーの幅を少しずつ広げる事。そしてそれを試合でも出来るくらい反復練習する事はできる。プレーで示す事はできないかもしれないけど、ほんの少しの成長を愚直に積み重ねようとする事で、後輩に何か伝わるものがあればいいなと願っている。

 

どうサッカー人生を締めくくるべきか、全く先が見えなかったが、いつか自分のしていた事が報われる瞬間が来る、そう信じて突き進んできた。最後まで、自分がチームにできる事を精一杯こなして、笑顔で引退の日を迎えられるようにしたい。

 

――

最後に。

 

男子部コーチ兼任で多忙な中チームを率いてくださったテソンさん、プロサッカーチーム並の分析資料を作ってくださったたかさん、休日にも拘わらず練習を見てくださっている福本さん。いつか、試合にどんなに勝てなくても、見捨てる事はない、選手を信じる、と仰ってくださった事は未だに忘れられません。どんなに良い戦術を練っても最後結果を決める事ができるのは選手だけだ、という言葉を胸に、勝利を勝ち取り、良い形でシーズンを終えられるよう努めたいと思います。

 

女子部をいつも見守ってくださり、時には焼肉やカレーをご馳走してくださった中田さん、八木さん。紅白戦のサポートをしてくださった中町監督、刀野コーチ、男子部グラマネの皆さん。また、試合運営を手伝って下さった男子部の皆さん。言葉で感謝してもしきれないほど、沢山力を貸してくださいました。結果という形で恩返しできるよう、チーム一丸となって頑張ります。

 

トレーナーのりささん、あやか。

遠方に住んでいるにも拘らず、夜遅くまで、選手のケアをしてくださり、ありがとうございます。学生トレーナーとしても、選手としても、お二方には本当にお世話になりました。ケアをしてもらっているにも拘らず、痛さのあまり動き回ってしまいごめんなさい。

 

同期。

個性豊かでくだらない話しかしてこなかったような気もしますが、そんな話をする日常が好きでした。

絢弥、ライブに行った話だとか、バイト先の子供の話とか、埼玉千葉論争とかをしていた日々が終わるのが寂しいです。4年生になっても尚、私のスマホでは「絢弥」の変換が出てこないので、「絢」「卑弥呼」と打って卑と呼を消していることはここで謝っておきます。絢弥は状況を俯瞰してみるのが得意で、学年ミーティングで議論が紛糾した時、チームが上手くいっていない時に毎回救われていました。主将と呼ばれるのもあと少しです。主将、全うしてください。

桜子、同期一のギャップ女王、後輩からのいじられ女王なのではないでしょうか。クラブチームでサッカーをしてきて、運動神経抜群。一方でめちゃめちゃ乙女な一面があります。桜子、いや、らこさんは個人的に笑いのツボが一緒で永遠に笑いのループを抜け出せない時もありました。最後まで、背中でチームを引っ張ってください。(先週撮影した同期5人の写真は桜子が引退ブログで使うから使わないで、と念押しされたので譲りました。感謝の言葉、待ってます。)

沙羅、日吉の住人だった期間、一番一緒にいた気がします。外で撮った同期写真を見て、学年で一番焼けているのは沙羅じゃないと言い張ってましたが、室内で撮った写真を見れば真実は明白です。真面目かと思えば変な所で不真面目だったり、しっかりしていると思えば抜けている所もあったり。ですが、部活においてもプライベートにおいても色々と沙羅には頼らせてもらいました。怪我の期間が長くて、先が見えない日々が続いたと思うけど、ここまでチームの為に、自分の為に積み重ねてきた沙羅を本当に尊敬しています。同期全員で、笑顔で引退しようね。

真理加、練習の体験に来たその日に「英語の成績(クラス分け)なに~?」と聞かれ、そのコミュニケーション力なのか何なのかに衝撃を覚えたのを覚えています。人懐っこさだったり、思い立ったら人を巻き込んで行動する力だったり、私には持ち合わせていない力があると思います。「このあとコメダいかないー?」という誘いは急すぎて基本的に断ってきましたが、いつか作業しにいこうね。いつか。あと、真理加とはMBTI(性格タイプ)が一緒ということでお馴染みですが、そんなはずはないと思っているのでもう一回診断してください。

 

後輩のみなさん。

サッカー面では先輩として頼りなかったと思います。4年生の一員としてチームを引っ張れているのか不安で仕方なかったですが、4年生が好きだという言葉を聞いた時に、少し安心しました。一部昇格という目標達成が厳しく、4年としてそのような現状になってしまった事に不甲斐なさを感じていますが、この悔しさは後輩に託します。皆なら達成できる、そう思っています。

特に3年生、テーピング代の請求額が抱えているものを物語っていますが、自分の体を大切にしながらも、頑張って。私は藤子の肩のテーピングを毎日巻き続けたおかげで肩テーピングのプロになりました。トレーナーの後継ぎである凜は肩テーピングのプロにならない事を願っています。

 

男子部キーパーの皆さん。

キーパーをここまでやってこられたのは間違いなく優しく温かく見守ってくれた皆さんのおかげです。キーパーの大先輩として、何が課題なのかを分析して練習に落とし込んでくれて、少しでも上手くいった時には「ナイスキーパー!」と声をかけてくれました。雨の日に、「佳那さんと美桜さんが濡れる前に自分が濡れます」と先に水浸しのグラウンドにダイブしにいくような、優しさの方向が斜め上にいっている出来事もありましたが。

特に同期キーパー。去年のキーパー会の時、まだあまり馴染めていなかった私をキーパーファミリーに引き込んでくれてありがとう。さらっと「同期なんで」と言われた時は嬉しかったです。技術面、怪我への対処法など、困った事があれば何でも聞けば教えてくれる皆さんは、頼れる同期であり、憧れでした。

 

髙橋さん。

私たちをキーパーファミリーとして迎え入れてくださり、ありがとうございました。技術精神共に未熟であり、練習では沢山迷惑をかけてしまったと思います。それでも、優しくも厳しく指導をしてくださったおかげで、キーパーとしてここまで成長する事ができました。引退まで残り僅かですが、試合で成長した姿を見せ、良い結果を報告できるように頑張ります。

 

両親。

ソッカー部入部を決め、1人暮らしを始めたり、3度の怪我で日常生活もままならない日々が続いたり、長期間の通院を強いられたり、多くの心配や苦労をかけました。それでも嫌な顔一つせず支えてくれた事に感謝しています。何一つ不自由なくここまで来られたのは2人のサポートのおかげです。特に多くを語るタイプではないですが、別々で暮らす中でも私の事を気にかけてくれているのだろうなと感じます。少しでも良い姿を見せられるよう最後まで頑張ります。

 

慶應ファミリーの皆さん。

ホーム試合のみならず、アウェー戦にも足を運んでくださり、相手チームよりも大きな声援を送ってくださってありがとうございます。得点した時には選手と同じくらいの熱量で喜び、相手チームに押されている時は前向きな声をかけ、共に戦ってくださりました。また、明日香さんのご両親は自分の娘が引退しているにも拘らず、キーパーファミリーとして試合を応援しに来てくださりました。皆さんの応援があったからこそ、選手一同、きつい時に一歩踏み出す事ができたと思います。今後とも温かいご声援をよろしくお願いいたします。

 

――

 

〆切日の直前まで何を書こうか決めかねていたのですが、気が付けば長文も長文になってしまいました。締りの無い文章ではありましたが、最後までご覧いただいた皆様、ありがとうございました。

 

次は、フィールド時代、同じチームでプレーをする事が多かった長野真理加にバトンを託します。4年のチーム始動時、私はキーパーとなり、同期3人は大怪我で離脱をしており、1人でフィールドを引っ張らなければならず、大変な事が多くあったと思います。そんな彼女が、4年間を振り返って何を綴るのか、楽しみです。

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