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2024.11.01 引退ブログ

『使命』(4年岩瀬絢弥)

ホームページをご覧の皆様、いつも温かいご支援をありがとうございます。

 

今年度、主将を務めさせていただいた、商学部4年の岩瀬絢弥と申します。

今年度主務を務めた大井沙羅からバトンを受け取りました。彼女とは4年間で多くの時間を共に過ごしました。2人で同時期に入院し、病院のデイルームで一緒にみんなの試合配信を見ていたこともありました。何度「辞める」と言われたか分かりませんが、彼女は心の奥底に強い芯を持っていて、数々の苦悩を乗り越えてきました。復帰してきてくれてありがとう。書きたいことは山ほどありますが、引退後にでもゆっくり話しましょう。

 

シーズンを通して部員全員が繋いできたこの重たいバトンが、ついに私まで回ってきました。引退を目前に控える今、濃すぎるほどのソッカー部人生を振り返り、TEAM2024、そして支えてくださった全ての方へ感謝を込めて最後のリレー日記を赤裸々に綴ろうと思います。最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 

【主将としての覚悟】

 

TEAM2023が終わった時、私は全てをチームへ献げる覚悟を決めた。勝つためなら自分が率先して苦しむこと。1部昇格を達成するために行動し続けること。チームが結果を残すことだけが自身が報われる唯一の条件だった____。

 

2023年5月18日

チームはリーグ戦真っ只中、私はというと3月に受傷した足首の骨折から歩行の許可が降りる1週間前のことだった。手術した傷口が化膿し一応診察に行くとそのまま緊急入院、翌日には手術を受けていた。状況が掴めなかった私に追い討ちをかけるように、受け入れ難い事実が次々と医師から話された。

傷口が感染を起こし骨に到達していたこと。全治はおろか、退院すら時期が読めないこと。もう少し遅ければ足を失う可能性もあったこと。

全てを聞いた上で私は、それでも知らないフリをして先生に復帰はいつかと毎日のように尋ねた。もう一度サッカーができる保証がないことに気づきたくなかった。毎節みんなの試合を見ながら、無情にも時が進んでいくことの残酷さを覚えた。結局5回の手術を経て1ヶ月半を無機質な部屋で過ごした。1日の中で会話をするのは看護師とリハビリの先生だけ。パラレルワールドのような空間で抑えていた感情も退院する頃には掘り起こせなくなり、今まで抱いてきた自分への期待は気が付けばどこかへ消えてしまった。

 

そんな中、病院に足を運んでくれる仲間、メッセージをくれる人たちに私は救われた。みんながいなければ、この世界へ戻ってくることはなかったかもしれない。暗闇で歩みを止めようとした私に光を差してくれたのは、今まで共に過ごしてきた仲間の存在だった。

 

だから自分のことよりもチームを軸に走り続けることを誓った。今の私をつくってくれたこのチームに残りの1年間をかけて恩返しをしなくてはいけない。個人としての結果は私にとって価値がなく、2年間果たせなかった1部昇格を達成し後輩に1部の舞台を贈ることこそが使命であった。

 

【失いかけた自信】

 

下田グラウンドの改修工事に伴い、ラグビー場や外部グラウンドを転々としながらTEAM2024は始動した。みんなで部荷物を分担し、各地で練習を重ねた。悲しいことに“ペーパーだが21歳”には部車を運転する資格がなく、同期に下田まで来てもらい部荷物を運んでもらったこともあった。

 

なんとかリハビリを乗り越え始動から練習に合流するも、1年ぶりに復帰をした感覚はなかった。それは個人に目を向け復帰を喜ぶ余裕などなかったから。開幕に向けてどうチームをつくるか、1年生をどう巻き込むか、遠征をどう有意義に過ごすか。前年まで幹部でもなくグラウンドにすらいなかった私がチームを引っ張る術は何か。考え続け、ミーティングを重ね、行動し、また考える。チームの先頭に立つ者としてもがき続けた。

 

リーグが始まるとそこからは本当にあっという間だった。誰か時を一旦止めてくれと何度も願うほど、目まぐるしく過ぎていく毎日に置いていかれそうになった。結果を求めて積み重ねてきた毎日だった分、1試合の結果に一喜一憂する日々。勝利の瞬間、全員で喜びを共有したことは何にも変え難い幸せであり、敗戦後は毎回というほど涙が出てきた。負けた試合が続くと、自分がチームに何ももたらせていないことに喪失感を覚えた。次第に私のシーズン当初の覚悟は重圧へと変わっていった。苦しいことは承知で全てを背負うと決めていても、やはりそれを跳ね返し力に変えることは難しかった。

 

主将として、4年として、何ができているか。

 

この問いに自信を持って答えられなかった。今までの尊敬する先輩方を見てきて、現在、自分がその姿を後輩に見せられているのか。正解が分からない中で自分の存在意義さえも見失ってしまった。頭を整理するために綴っていたノートには「自信がない」「ミスが多い」「チームを引っ張っている感覚がない」と情けないことばかりを吐き出していた。

 

それでもチームに目を向けなければならない。視座を上げて毎日の練習を積み重ねなければならない。ソッカー部人生のリミットが刻々と迫る中、私が自身に与えた使命、すなわち私にとっての今年の“原点”に回帰し前を向き直した。今週やること、伝えたいこと、ミーティングで話すべきことをノートの続きに記し、今やるべきことをはっきりとさせることで未来への不安を無理やりかき消した。

 

【慶應らしさ】

 

シーズンの半分を過ぎた頃、テソンさんから4年生へ話があった。4年として何をこのチームに残すか。この命題は私もずっと考えていたことだった。この学年だからこそ伝えられること、私にしか見せられないもの。同期でミーティングをしながらもなかなかはっきりとした答えは見つからなかった。そんな中迎えた早慶戦で私は、頭の中で点と点だったものが線で繋がった感覚を覚えた。

 

『誰かのために全力を献げること』

 

早慶戦の何ヶ月も前からそれぞれの役割を全うしている人々がいて、自分も含め1試合のために準備をし、最高の舞台で闘うことができた。だからこそ勝てなかったことに対して、リーグ戦とは違った悔しさを強く感じた。また、男子部は私たちの応援だけでなくイベント運営まで協力してくれた。私たちもその感謝を返すべく、そして私たちの悔しさも晴らしてほしいと願い翌日の男子部早慶戦を全力で支えた。人の想いが行動を生み、周りを巻き込んで大きな価値を創る。試合後の国立競技場のスタンドを、ゴミを拾って周回しながら、このサイクルこそがソッカー部の魅力であり慶應らしさだと改めて感じた。と同時にふと自分を省みると、人に、組織に恩返しをすると決めたこの1年間と通ずるものがあることに気が付いた。新しく何かを始める必要はない。今持っている私の全てを出し尽くすだけだ。人よりも秀でたものがない自分だからこそ、自分らしさや長所に固執せず何に対しても全力で向き合うことが大切だと思い、また歩みを進めた。

 

【届かなかった目標】

 

後期に入ってもなかなか結果は出ず、ついに1試合も落とせない状況まで来ていた。その中で迎えた立教大学戦。思えば昨年、同じ場所で私たちは今年1部で闘うチャンスを逃した。皮肉にも、同じ結末を迎えてしまうとは想像もしていなかった。昨年味わった、言葉にできない悲劇を繰り返してしまったことに大きな責任を感じた。これまで色々なものを犠牲にしてチームに貢献してくれた3年生に、1部の舞台を残してあげられなかった申し訳なさで涙が止まらなかった。1部昇格を掲げて過ごした3年間。昇格することでしか私が報われる術はないとまで思っていた。その目標、使命が儚く散ってしまった現実は受け入れ難く、翌日もその翌日もこの組織に所属する意味を嫌というほど考えさせられた。

 

翌週の最初の練習後に、学年でミーティングをした。正直、練習も行きたくなかった上にミーティングなど冷静に考えられる訳がなかった。しかし、その時に初めて同期全員の本音を聞き、前を向くきっかけを与えてくれた。今までずっと、試合に出場していたのは私と桜子で、自然と2人で同期、チームを引っ張る形だった。そのため他の3人に対して何度も厳しい要求をしてきたと思う。今までサッカーとの向き合い方が異なってきた3人に無理なことを言っているかもしれない、もしかしたら押しつけているのではないかと感じることの方が多かった。でも、その時に3人から出た言葉は心からチームを思っていて、私たちについてきてくれていることを感じた。この代は全くと言っていいほど性格も考え方も違う人の集まりであるが、それぞれの立場で結果を残そうともがいているのは同じだった。全員が号泣していたため何を話していたか詳細までは思い出せないが、この同期で最後は笑って終わりたいと純粋に思った時間だった。

 

【サッカー選手としての終焉】

 

私は大層な幸せ者である。覚えている最も古い記憶の中でもボールを蹴っているほど、サッカーで埋め尽くされた人生。当部のパンフレットには『サッカーのための人生か、人生のためのサッカーか』というキャッチコピーがあるが、私の場合は完全に前者であった。幼い頃、勉強をしないとサッカーを辞めさせられるからという理由だけで勉強に励み、高校選びの基準もクラブに通えるかどうか、本塾を志した時も「年始に全国大会があるから」という理由でサッカーに支障をきたさない入試方法を選択した。サッカーのために食事、睡眠時間、ケアなど日常生活を工夫した。そんな19年間のサッカー人生があと2日で終わりを迎える。実感はまだない。どんな終幕となるのか見当もつかない。大学でサッカーを引退する。自分で決めたゴールに向かって走り続けてきたから、今まで何度も悔しい思いをしてきたから、ラストの試合は勝って笑って終わりたい。そしてTEAM2024の集大成として23人全員とスタッフ、保護者の方々で喜びを分かち合いたい。そのために私に残された使命、主将として闘い抜くことをここに誓う。最後、絶対に勝って終わろう。

 

この4年間は私にとって決して色褪せることのない宝物です。サッカーを通して人間として大きく成長できたのも、今まで支えてくださった方々のおかげだと心から思っています。この場をお借りして感謝を述べさせていただきます。

 

4年間、プレイヤーとしても1人の人間としても多くの指導をいただき、私が行き詰まった時に乗り越える道を示してくださったテソンさん。ハイクオリティのスカウティングだけでなく選手と近い距離で悩みにも真摯に向き合ってくださったタカさん。2年ぶりに戻ってきてくださり毎週愛のある指導をしてくださった福本さん。毎週試合に足を運んでくださり女子部を見守ってくださった八木さん、中田さん。私の2度の大怪我からの復帰をずっと隣でサポートしてくれた由佳さん、理紗さん、彩花。紅白戦にお力を貸していただき女子部のことを気にかけてくださった男子部スタッフ陣とグラマネ、男子部選手。

本当に感謝してもしきれません。今までお世話になりました。最終戦、結果でみなさんに感謝を示せるよう全力で闘い抜きます。

 

この組織で一緒にサッカーしてきた仲間。先輩たちはこの学年が4年生としてやっていけるのか不安に思っていたはずです。実際ほぼ全員から「その学年大丈夫?」と心配された記憶があります。みなさん、紆余曲折がありましたがなんとかやりきれそうです。何度も相談に乗ってくれてありがとうございました。引退したらご飯に連れて行ってください。

、、、いや、思い返すと、心配されていたのは先輩からだけではありませんでした。何度も私たちに真っ直ぐな意見をぶつけてくれた1〜3年生。一緒にチームをつくってくれてありがとう。常に元気いっぱいでピュアな心を持っている1年生。存在感抜群で私たちと同じくらい個性が強い2年生。文字通り身体がボロボロになるほど、チームのために闘い続けてくれた3年生。みんなに何度も助けられました。頼りない瞬間が何度もあったと思う。何もなかった私を主将にしてくれたのはみんなです。1年間ついてきてくれて本当にありがとう。このメンバーでサッカーができて幸せでした。

そして、私のツボであり、不意打ちの埼玉弄りを繰り出してきた千葉の“財宝”。色々ありすぎて掘り出しOKのエピソードが見つからない、センス抜群のイラストレーター。同じ学部なのに三田では一度も会ったことがないフィジカルモンスター。私の寮部屋の第二の住人(文章長いです)。

バラバラな5人の唯一の共通点は不器用であること。ミーティングの度に仲が悪化するのに4年間で最もミーティングをした代だと思います。でもみんなの存在があったから、どれだけ苦しくても、しんどくても、踏ん張ることができました。ありがとう。前十字靭帯断裂、足首の骨折、手の骨折、合宿所の砂利で捻挫など大変な怪我を乗り越えてきた私たちが最後何を残せるのか。最後の笛が鳴るまで闘い続けよう。

 

最後に、私のサッカー人生に関わってくださった指導者、仲間、応援してくれた友人、両親。私はあと2日でサッカーを引退します。みなさんのおかげで19年間最高の日々を過ごすことができました。これから自分なりの形で恩を返していこうと思います。

 

文章を書きながら何度か涙が出てきそうになりました。来週になってしまえばもう、部室でうるさいみんなの声を聞くことも、水曜の夜に日吉組(+美桜)と寮食を食べながら話すことも、同期L I NEに昼夜問わず起床確認スタンプが送られてくることも、朝6時から佳那の自転車を漕いである場所へ向かうことも(足がペダルにつかないことまでがセットです)、HP0の状態で積み下ろしをすることもなくなると思うと寂しい限りです。

 

これでTEAM2024のリレー日記は幕を閉じ、TEAM2025へバトンを繋ぎます。1年間、ご精読いただきありがとうございました。これからはOGとして、この伝統あるリレー日記を陰ながら楽しみに読もうと思います。この1年間一緒に闘ってきたみんなが慶應ソッカー部女子の新たな歴史を創ってくれることを心から願っています。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

最終節、TEAM2024の集大成をお見せできるよう全力で闘って参ります。

今後とも、皆様の温かいご支援のほどよろしくお願いいたします。

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