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2024.10.31 引退ブログ

『今がある理由』(4年 大井沙羅)

ホームページをご覧の皆様、こんにちは。

TEAM2024の主務を務めさせていただきました、環境情報学部4年の大井沙羅と申します。

 

2年連続で一緒に幹部を務める中で責任感が年々と増す大橋桜子からバトンを受け継ぎました。1年生の時からピッチ内へのこだわりが強く、そのこだわりやピッチ内への熱意を話し合いで聞く度に感化されていました。特に桜子の持つ言葉は大きな力を持っていて。伝えられた言葉が本質にアプローチしすぎていて返す言葉が見つからなかったり、問題の解決策になったり、また一緒に帰る電車の中で伝えられた言葉で気が付いたら頬が濡れていた、なんてこともあったり。私の考えすぎを一番綺麗に扱ってくれて助けてくれたのも桜子の言葉でしょう。そんな力を持つ一つひとつの言葉にいつも心を動かされ、また頑張ろうと思うことができました。本当にありがとう。

 

最後のリレー日記ということでいかに4年間をまとめるか悩みに悩みましたが、精一杯書かせていただきました。ぜひお時間ある際にご覧いただけましたら幸いです。

 

 

『今がある理由』

 

大学生活最後のリレー日記でこのテーマを選んだ。というのも大学サッカー生活が終盤に差し掛かり、これまでを振り返ると色々な理由の積み重ねだったと思い出されるからだ。

 

まず生活面。朝起きて部活に向かい約2時間の練習をした後、授業を受けて友達とご飯に行ったり課題に取り組んだりする日もあれば、朝からアルバイトをした後に授業を受けて、夜に練習をしてからチームでミーティングを行う日も。部活で始まる日もあれば部活で終わる日もある、生活のどこかでサッカーに触れざるを得ない毎日を繰り返して今を生きている。

1日2時間を週に6日、単純計算で1週間に12時間、サッカーという競技に励んでいる。中高生の時は1日2時間を週に2日だったため、大学生になって3倍以上の時間を競技に割くようになった。その生活に慣れず、入部当初は気が付いたら1週間が終わっていた、なんてこともよくある話だった。そしてそれと同時に私の中でサッカーがどのような存在であるかも変化し、競技に割く時間と比例して心の中でサッカーという存在は日に日に大きくなっていた。サッカーという競技に対することはもちろん、学年のこと、チームや学年の中で私はどのような役割を果たすべきか、学年が上がるにつれ考えるべきことも多くなった。下田を離れても脳のどこかでチームの何かを常に考えていたような気もする。

 

次に競技面。社会人サッカーチームに属していたからこそ、大学に進学しても継続してサッカーを続けられる環境は揃っていた。だからこそ変わらない安定した環境を選ぶか、何もかもが違う新しい環境を選ぶか、とても迷った。ただどうしても同年代と真剣にサッカーをしたいという思いを最大限叶えられる環境に挑みたいという気持ちを抑えきれず、大学サッカーに挑戦した。

1年生の時の部員は全員でわずか19人、しかし怪我人が続出し試合に出られる選手として残ったのは11人+数人。その中で挑んだ1部の舞台は挑戦しがいがありながらもチームとしては勝利を挙げられず、これが大学サッカーなのかと痛感する日々が続いた。2年生に上がるとチーム内でその厳しさを感じるようになった。ただ前期最終節の上武大学戦で少し出場させていただいた時、自分の伸び代を感じたことをきっかけに、一気に火がついた。その後のシーズン中断期間に行われた”下田合宿”(下田で2部練を2日連続で行うもの)にもこれまで以上に意気込んで取り組んだ。ただそれも虚しく”下田合宿”の最後の練習で前十字靭帯断裂。そして選手として空白の約2年間が訪れた。2022年8月ぶりに今年6月に練習合流したもののスムーズにはいかず、完全復帰できた時には引退まで50日を切っていた。

 

加えて運営面。入部後チームの運営に携われる役職があるらしい、と聞いた時からその役職になりたいと強く思っていた。前チームで運営の一端をやらせていただいたことをきっかけに「大学のチーム運営を学びたい」という気持ちはとても強かった。そしてこのことをある先輩に話した時から、部活の運営を担う人間としてやってみたいことは考えれば考えるほどたくさん出てきた。そしてありがたいことに副務と主務を務めさせていただき、そのほぼ全てを経験させていただくことができた。

今振り返ると、大学のチームがどのような支えのもとで運営されているのかを実感できた。特に早慶戦ではより多くの方々の支えがあってこそ開催できることを痛感した。また女子部単独開催と男女合同開催で誰がどのような役割で動くから成り立つか、異なる運営体制を知ることができた。加えて同時に何かを作り上げ完成させることの難しさと関わってくださる方々のありがたみや、実際に動いてくれた選手への感謝の気持ちを全面に感じていた。

 

「人と人が繋がって力を合わせて、一つのものを作ろうと奮闘すること。」まず奮闘できる環境があることへの感謝を忘れてはいけないと感じた早慶戦だった。

また普段の業務では「このような形で運営したらミスが発生しにくくなるのではないか」「万が一ミスが発生してもこうカバーしたら大事にはならないかも」と考えるとどんどん考えが広がるようなことの連続で、何事も起こらず平凡に過ぎていく毎日を感じた時は充実感でいっぱいだった。ただ運営以前に私は一選手であり、運営のためだけに入部したわけではなかった。正直選手としての空白の2年間の中には”選手 兼 主務/副務”ではなく、”主務/副務 兼 選手”となっていた瞬間もあったように思う。ただ空白だったからこそ他の形でチームの力になれているかもしれないと実感した瞬間は、私にとって何よりのやりがいだった。

 

最後に怪我のこと。2年生8月に人生2度目の靭帯断裂をしてから完全復帰まで、結局2年以上もかかってしまった。最初の手術をした時の目標は3年生のシーズンインに間に合わせること。叶わずチーム練習に合流する2日前に3度目の靭帯断裂をし、手術をした後の目標は4年生のシーズンインに間に合わせることだった。しかし気が付いたら8月の早慶戦を復帰することを目標としたり、後期に間に合わせることを目標としたり、どんどん遅まっていくばかりだった。

元来大学生活が4年間しかないことは当の初めにわかっていたからこそ、2年生はサッカーの技術を最大限に上げること、3年生は4年生になるための色々な土台を作ること、4年生はこれまで積み上げてきたものを発揮しながらチームを作ること、これらがピッチ内でそれぞれの学年でやるべきことだと私自身は考えていた。しかし目標の移り変わりと共に学年を積み重ね、考えていたそれぞれの学年での目標を叶えることは難しくなっていた。その難しさを感じる度に「目標を叶えるにはどうすればいいの?」「今の自分をどう変えたら叶うの?」「ここで何をしたいの?」「なぜ今私はここにいるの?」と自問自答する毎日だった。

 

何度絶望したことか、何度諦めかけたことか。

 

ただそれでも。

 

『最近どう?』『今復帰までどんな感じ?』『沙羅さんいつ復帰?』

そのような言葉をいただいて今の自分をお伝えする度に、そう言ってもらえることのありがたみを感じていた。言った側は重く言ったつもりがなくても、その言葉をいただいた時に思いが溢れた日もあった。そしていつまでもそう期待してくださる方々のために頑張りたかった。

 

『おおいい感じじゃん!』『はいっ、沙羅やるよー!』

というトレーナーの理紗さんと彩花からの言葉は、例え腰が重くてももう少し頑張ってみるかという力をいただけて、もう一踏ん張りすることができた。そしてそのもう一踏ん張りは「もう少し頑張れるかも」というエネルギーに変わり、前を向くきっかけになった。

 

『こう思うけど沙羅はどう思うの?』『このままじゃ復帰は厳しいね』『まだまだ強度低いよ』

今の自分を客観的に見ようとスタッフ陣を頼った時の返答は、無意識に背けていた自分の弱さを言語化してくれた。弱さの中に隠れていたサッカーに対する諦めない心を掘り出してくれた。今の自分の状況に納得いかない、たくさんチームを支えてくださっているからこそその方々の言葉に負けられない、プレーで応えたい、と強い原動力になった。

 

そして

『考えすぎなんじゃない?』『怖いんじゃん』『沙羅を助けたいから』『リハビリ、何か手伝うことある?』

自分自身の持つ意見が発散しすぎてよく分からなくなった時に言語化を手伝ってくれて、時に振り回してしまいながらも最後まで考えてくれた絢弥。ピッチ内で振る舞う姿が1年生の時に一緒にプレーした記憶と重なり、その姿を見る度にピッチに戻りたいと思わせてくれた桜子。ピッチ内で求められることに挑戦し続けているのを見ていたからこそ、私を想って真っ直ぐに伝えてくれた言葉が刺さって前を向くきっかけを作ってくれた真理加。一緒にやったキーパー練で感じる努力とその変化に刺激を受けながら、自分が混乱している時でもいつもと同じ様子で話してくれて冷静な自分に戻してくれる存在の佳那。

何かあった時、見透かしたように処理してくれる同期は心強かった。何よりの後ろ盾だった。

 

完全復帰後は、自分はゴロのパスすら出せないの?トラップでさえ正確に止められないのはどういうこと?とプレーの理想と現実がかけ離れ過ぎていて自分自身が情けなくなり、自分で自分に笑う毎日だった。どれだけ理想を低くしたつもりでもそれは仇となって自分に返ってきた。その中でもチームの基準はどんどん上がりその基準に合わせなければならないという現実は変わらなかった。2年のギャップがあるから、と言ってもらっても、練習中に「ナイス」と周りから褒めてもらっても、いつまでも自分のプレーに全く納得できなかった。靭帯断裂の理由は、サッカーに熱中するがあまりリスクヘッジができていなかったことであり、感情に揺さぶられず冷静にサッカーをすることを目標にしていたもののそれが裏目に出てしまうこともあった。

それでも冷静に自分自身と向き合い、原点に戻ってこの言葉達とそれに付随する想い、後ろ盾を実感した時には私の中で前に進む以外の選択肢はなかった。

 

こう振り返ると、大学サッカーに挑戦すると決めた決断、主務や副務として任務を果たすこと、朝起きて今日も部活に行こうと思ってグラウンドに向かい練習やリハビリをすること、何かあってもそれを乗り越えてきたこと、それぞれの積み重ねがあって今がある。その積み重ねの背景にある、たくさんの方々の支えがあって今がある。「4年間を走り切ってこそ感じるものがある」という言葉は今だからこそ響くものがある。

今日も今日とて選手として走れている今があり、私はとても幸せです。

 

 

私をここまで支えてくださった方々へ。

 

まず監督ならびにスタッフの方々。

テソン監督。怪我の件をはじめとした相談をさせていただいた時には、テソンさんが持たれている言語化力に毎回大変助けていただきました。テソンさんの頭を使う練習は楽しくて、もっと色々な練習メニューをしたかった、というところが正直な気持ちですが、4年間を走りきれそうな今があるのはひとえにテソンさんのお力のおかげです。

そして練習内では一人ひとりの選手を観察して言語化して選手と話したり、ピッチ外では当部のチーム状況を踏まえた相手の分析でわかりやすくスカウティング資料を作ってくださったりして常にチームを支えてくださる、たかさん。

4年間を通してテソンさん練より福本さん練の方が多いというなんとも珍しい状態になっていますが、その練習の中で大学サッカーの楽しさと厳しさを目一杯に教えてくださった福本さん。

感謝をお伝えしたい部分はまだまだたくさんありますが、続きはまた改めて伝えさせていただきます。4年間ありがとうございました。

 

そしてトレーナー陣。

ここが凝っている、痛い、というと体の構造から分析し、時には想像もしない体の部位からアプローチして、その悩みを解決してくれる理紗さん。私の膝のスペシャリスト、ならびに私の一番のメンタルサポーターである彩花には、多くの場面で助けてもらいました。何度目標を達成できなくてもその度に考え直してくれて、今の私の膝や状況を理解した上でメニューや目標などの提案を何回もしていただいたお二人には頭が上がりません。そして復帰できたことも間違いなくお二人がいたからです。本当にありがとうございました。

そして佳那と凜、たくさんのテーピングの注文や計算、いつもありがとう。

 

たくさんの先輩方。

何かある度に話を聞いていただいたり助けていただいたり、本当にありがとうございました。特にリハビリ期間は答えのない問いのために永遠と話を聞いてくださりながら、その中で頂いたたくさんの優しい言葉に救っていただきました。時に厳しく現実を突きつけてくださった時もありましたが、それでも最後は背中を押してくださるその優しさは忘れません。その言葉と経験は何よりの宝物です。まずは最後まで靭帯を切ることなく笑顔で終わって、4年間を走り切れたとご報告できるよう頑張ります。

 

そしてチームのみんな。

まず後輩。

今の3年生でさえ怪我を負う前の数ヶ月、1.2年生は完全復帰してからの数十日しか一緒にサッカーはできなかったけど、私にとってその期間は非常に貴重な毎日でした。ある練習合間の休憩時間を振り返ると思い出される、あの時どんなこと考えていた?と聞いた時に返ってきた怒涛と押し寄せる言葉に、来年以降もチームを繋いでいってくれる、頑張ってくれるだろうなとしみじみ感じていました。他にも練習中に求める言葉をもらう度にまだまだ頑張らなきゃと、次を頑張る活力になっていました。みんなが体験生としてチームに来てくれた時や入部当時と今を比べると、本当に頼もしい後輩になってくれて嬉しい気持ちでいっぱいです。

グラウンド脇から見る時間が長かったけどその分、全員がチームのために考えて動いて、影響を与えられる存在であることを常に感じていました。そしてそれを擦り合わせて掛け合わせた時に出てくる大きなパワーの源を全員が持っていることも。最後まで諦めず、全力で駆け抜けてくれることを祈っています。

 

次に同期。

みんな個性の方向がバラバラで全然まとまらなくて、最初は正直4年生になった時の私達を全く想像できませんでした。その中でも、フィールドに1人しか学年がいなかった中でも人一倍に思いを背負って学年のために声を出して奮闘する真理加がいたり、ゴールキーパーにコンバートした中でも努力を怠らず、怪我をしてもチームのために動き続け復帰後は着実に成長し続ける佳那がいたり。そして絢弥と桜子はそれぞれ怪我を乗り越えてピッチ内で引っ張ろうと常に奮闘してくれた。時効ですが、入部して初めて”同期”という存在ができて私は嬉しかったしいつかチームを引っ張るだろう2人を支えられるように成長しようと思っていたのにどちらも人見知りで、話したと思ったらぎこちない会話をする2人を見て、学年の将来が心底不安でした。笑 だからこそ2人が引っ張る姿を見て感慨深かった。

時に私自身が学年を振り回してしまうこともあり今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいです。でもその度に本来の自分に連れ戻してくれて、どう感謝の気持ちを表せばいいのか、言葉が見つかりません。

真理加が率先して笑いを取りに行こうとすると桜子が斬って回収。終わると思いきやそこら辺にふと浮いてくる佳那の言葉でツボの浅い絢弥をはじめとして全員が大爆笑。いや、なんで笑っているのか理解できず冷ややかに目線を送る桜子と真理加がいた時もあったでしょうか。ちなみに佳那が周りを笑わせている自覚がないことが最大のポイントです。このような学年にいれて楽しかったです。

これ以上書くと入部時の如く「沙羅文章長い」と言われそうなのでこれ以上はやめておきます。(既に言われているかもしれませんが。)書かなくても既に私の同期愛は伝わっていることでしょう。「大学サッカーに挑戦したい≒同期が欲しい」という思いもあったから、このような今があって幸せです。(引退したら5人でフットサル大会に出たいので、もし時間があったら叶えさせてください。)

 

最後に両親へ。

4年間サッカーに多くの時間を割くこと、そして常に選択を尊重してくれてありがとう。サッカーに本腰入れたいから一人暮らしをする、ということも実現させてくれて感謝の気持ちでいっぱいです。一人暮らしをした時にありがたみを感じたことはもちろん、実家に戻った今も改めてそのありがたみを感じる毎日です。特に実家に戻ってから今まで、最後の最後だからとたくさんのわがままを聞いてくれて本当にありがとうございます。

1年生の時は新型コロナウイルスの影響でプレー姿を見せられず、その後は怪我で見せられず、一人暮らしの期間もあって何か嬉しい報告をできたことは少なかったけど、「おかげで4年間やりきったよ」と報告できるように最後まで頑張ります。弟もいる中で負担を抱えさせてしまったときもあったかもしれない。ただその中でもたくさん私のために動いてくださり本当にありがとうございました。その他はまた引退後に直接伝えます。

 

 

最後になりますが、あと数日で大学4年間の大学サッカー生活に幕を閉じることとなります。

上に書かせていただいた以外にも、女子部の活動のために多くのご支援ご声援をいただいたOBOGの皆様、お忙しい中多くの試合に足を運んでいただき早慶戦の開催のためにご尽力いただいた中田総監督と八木アドバイザー、紅白戦をはじめとして女子部のために様々なところで動いてくださった男子部スタッフ陣の皆様、試合運営をはじめ女子部が活動する上では欠かせない男子部の方々、そして色々な相談に乗ってくれた友人など、まだまだ感謝をお伝えしたい方がたくさんいらっしゃいます。

 

考えれば考えるほど痛感するたくさんの方々からの支えがあってこそある今の環境に、そしてその環境を作ってくださったことに、この場を借りて深く御礼申し上げます。残り1試合、アウェイ戦とはなりますが会場に来られない方もぜひ配信からご覧いただけますと幸甚です。

 

長く拙い文章となってしまいましたが、最後までご覧いただき誠にありがとうございました。

今後とも変わらぬ温かいご支援ご声援の程、よろしくお願いいたします。

 

次は膝や足首での長期離脱を乗り越えながら主将として走り続けてくれた同期、岩瀬絢弥にバトンを託します。私が周りを頼ることが出来なくてどうしようもなかった時、初めて誰かを頼れた存在だったことを覚えています。時にその優しさに甘えてしまったこともありましたが、SOSを出すと助け舟を出してくれる、4年間を語るには欠かせない存在です。加えて”物理的”にも大変お世話になりました。これ以上は触れません。

たくさんの場面で本当にありがとう。

 

その話はさておき、チームに全てを捧げる、と学年ミーティングで話した時から有言実行し、自分のことを二の次にしてチームのために動いてくれた絢弥を尊敬していました。「学年ネタなら永遠に書ける」と意気込んでいましたが、これまで心に秘めていた本音の部分も書いてくれることでしょう。ぜひご期待ください。

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