2024.10.30 引退ブログ
『最高の通過点』(4年 大橋桜子)
ホームページをご覧の皆様、こんにちは。
今年度副将を務めさせていただきました、商学部4年の大橋桜子です。
2ヶ月程遅れて入部してきて、絶対に仲良くなれないタイプであると確信した4年前が嘘のように今では隣にいるのが当たり前で、4年間で一番長い時間を共に過ごしてきた同期の長野真理加からバトンを受け取りました。
女子部の人は真理加の私への一方的な愛が強いと思う人が殆どだと思いますが、彼女には幾度となく助けてもらい、感謝しかありません。勘違いされやすい性格だけど、色々な立場の人を理解して人の為に行動し、逃げずに自分と向き合う姿が私の原動力となっていました。4年間ありがとう、これからもよろしくね。この文章を読んだらニヤニヤしながら寄ってくることが容易に想像出来ますが、いつもの塩対応で華麗にかわしたいと思います。
あと伝え忘れていたけど、12月の真理加の誕生日は予定を入れてしまったのでリスケでお願いします。
最後まで全力で頑張ろう。そして勝って笑って終わろう。
1年目の「インカレ出場」2.3.4年目の「1部昇格」
私は4年間チームの目標を達成することが出来ませんでした。
それでも自分を成長させ、好きなサッカーと本気で向き合えた何にも代え難い4年間でした。
“原点回帰”というスローガンを掲げ、「強い慶應を取り戻す」という目標を置いた4年生としての今シーズン。その目標を達成することが出来ただろうか。
過去を振り返ることはあまり好きではありませんが、振り返りざるを得ない程濃いソッカー部での4年間と今の思いを綴りたいと思います。最後までお付き合いいただけますと幸いです。
1年目、関東大学リーグ全18試合を通して1勝もすることが出来ずシーズンを終えました。小学生から始めたサッカー人生でこのような経験は初めてでしたが、いくら負けても諦めずに次の試合に向けてチームの中心となって準備をする先輩の姿に感銘を受けました。
初めて部活動に所属し、規律やルールにコミットするまで少しばかり時間はかかりましたが、ソッカー部員として大切なことを教えていただいた1年でした。入部する前に思い描いていた結果を得ることは出来ませんでしたが、関東1部の舞台で全試合出場し、選手としての成長を遂げた1年目となりました。
2年目、個人的には4年間で一番の活躍を遂げたシーズンでした。
1年目の悔しさを糧に2部では圧倒的な強さで昇格する意気込みでしたが、現実はそう甘くなく8勝5敗5分の5位に終わりました。それでもこのチームで2年目にして初めて勝利を掴めた瞬間は特別なもので今でも忘れることはありません。選手としての収穫も多く、ゴールや攻守でチームの勝利に貢献出来た1年でした。
3年目、サッカー人生で最大の挫折を味わいました。
副将や幹部として求められること、上級生としての自覚、学年の在り方。周りからの意見を取り入れ、多くの事を考えなければならない重圧と責任からか、自分自身のプレーも上手くいかないという悪循環に陥り、チームとしての結果も出ない時期が続きました。
様々なバックグラウンドを持った同期とは同じ目標を掲げていても、熱量の差を感じることは少なくなく、誰にも打ち明けられずに1人で抱え込む日々でした。
そこに畳み掛けるようにサッカー人生初めての大怪我を負いました。
練習試合で悪質なタックルを受け、足首がありえない方向に曲がってしまい、足首2本の骨折、数本の靭帯断裂という大怪我を負いました。救急車で運ばれた時はサッカーが出来る足に戻ることは出来るのだろうかという不安となぜこのタイミングで怪我をしてしまったのだろうかという後悔で押しつぶされそうになりました。
最初に医師から告げられたのは全治1年。
前期では苦しむ期間が続いたものの、早慶戦では得点を取り、後期に向けて一層力を入れた練習試合での出来事でした。
この年の後期の試合には一度も出場することなく、シーズンを終えました。チームとしても一部昇格の目標を達成することが出来ず、ソッカー部に入部する前に掲げたインカレ出場という目標も絶たれましたが、迫り来るラストシーズンの開幕に向けて、1日でも早い復帰の為に毎日リハビリに取り組みました。
4年目、リハビリを乗り越え予定より早い約半年程で復帰し、TEAM2024最初の遠征である2月の沖縄遠征に間に合うことが出来ました。
ただこの”間に合う”は練習に復帰することが出来ただけで、怪我前の元の状態とは程遠いものでした。怪我をした足首は今でも十分に可動域が無く、日常的な動きにも支障を来たし、完璧な状態で練習に臨む日は今日までありませんでした。推進力が武器であった私には足首の可動域はとても大事なものであり、スピードは少しずつ取り戻したとしても得意であったサイド攻撃の1対1の感覚を取り戻すことが出来ず、自信を喪失する日々でした。
それでも前期はスタメンとして試合に出場させていただいたにも拘らず、何も結果を残すことが出来ない自分の不甲斐なさに呆れました。復帰後WGやSHとしての勢いを無くし、FWとして期待されても大量得点という結果でチームを勝たせることも出来ませんでした。本当の意味で復活して少しずつ感覚を取り戻したのはリーグ戦が中断した早慶戦前辺りでしたが、あまりにも遅すぎました。
4年目の早慶戦。
ソッカー部に入部する前に掲げた2つの大きな目標の内の1つである「早慶戦勝利」に向けて中断期間は必死にチームと向き合いました。
結果は0-1で負けてしまいましたが、あの伝統ある舞台でみんなと戦えたことの嬉しさ、いつも以上のパフォーマンスを発揮出来たこと、何より多くの方々に応援していただいたことに本当に感謝しています。
早慶戦後にリーグ戦の後期が再開ましたが、前期は3連勝と波に乗れた時期はありながら、あと少しのところで勝ち点を掴みきれない試合が重なり昇格を狙うには厳しい順位でスタートしました。
9月29日後期4節の立教大学戦に敗れ、1部昇格が絶望的になりました。目標を失い、今まで4年間何の為にサッカーしてきたのかわからなくなり、オフを挟んだ火曜日の朝練は初めて練習に行きたくないと思ってしまいました。それでも引退までの時間が刻一刻と迫り来る現実を早く受け入れ、今後チームに何を齎せられるか、4年間の集大成、4年の意地を如何に見せることが出来るかを考えることが、目標を失った自分に出来ることだと意味づけしました。
そんな激動の4年間も、残す試合はラスト1試合。
チームにとっては昇格も降格もないただの消化試合であっても、私にとっては15年間のサッカー人生の最後の試合。
冒頭で述べた「強い慶應」を模索し続け、最後までピッチで慶應のサッカーを体現する。
そして私たちがこのチームに残せるもの全てを出し切り、最高の試合をする。
最後は勝ってみんなで笑って終わりたい。
私は小学生から16年間慶應という組織に所属していますが、一番感じたことは「恵まれている」ということです。他の人と比べたら進路を自分で決断することもなく、何不自由なく好きなサッカーをしてきました。
中高時代は学校に女子サッカー部がなく、クラブチームに所属しました。中学生に上がっても周りの環境があまり変化しなかった私にとって、チームの皆と接することで世間の価値観を理解すると共に、大切な仲間と出会い、人の気持ちを理解することの大切さを学び、人として成長することが出来た6年間でした。仲間の中には人間関係や家庭の事情で勉強に集中することが出来ない人や将来のために自分がやりたいことを我慢して行動している人もいました。
同じ学校に通う友達とは周りの環境が異なる子が多く、如何に私たちが恵まれた環境で学校に通うことが出来ているのかということを再認識する場所でもありました。
この経験から私は周りへの感謝を忘れないこと、そしてこの恵まれた環境を生かすも殺すも自分次第であると強く言い聞かせてきました。
ソッカー部という組織で”最高”の4年間を過ごせたことは何一つ普通のことではなく、紛れもなく多くの方々の支援があってのことだと思っています。この想いを忘れることなく、恵まれた環境を生かし、人の為に動ける人間に成長出来るよう、これから日々精進して参りたいと思います。
ソッカー部での4年間も飽く迄人生の”通過点”。
この経験を生かすのは自分自身であると心に刻みブログを締めさせていただきます。
最後にこれまでソッカー部の活動を通して支えてくださった方々にメッセージを残させていただきます。
同期へ
この4年間苦しい時期があっても乗り越えて前を向いて活動出来たのは同期の存在があったからです。
絢弥とは一緒にリハビリをする中で、感情的になってしまった私に「一緒に頑張ろう」と声をかけてくれた時は本当に励みになりました。復帰後2人でピッチに立てた時は本当に感慨深いものがあったし、絢弥とサッカーが出来て楽しかった。
沙羅は私より長いリハビリ期間を経て復帰して、主務としてチームを支える中で復帰に対する不安は沢山あったと思うし、考え過ぎる性格だから色々な葛藤があったと思うけど、選手として復帰してくれてありがとう、最後に一緒にプレー出来て良かったです。
佳那は2年の最後に行われたGKミーティングでチームの為にGKになるという決断をして、4年に上がるタイミングで本格的にGKへ転向。その決断をして努力する姿を見て、私の役割はピッチ内でチームを助けるプレーをすることであると再認識して、佳那が頑張ろうと思える原動力の1つになれればという思いで今までプレーをしてきました。
そして常に私の隣で笑わせてくれた真理加、会話の9割はくだらない話だったけど、そんな他愛もない話が毎日本当に楽しかったです。
本当に個性豊か過ぎる同期だったけど、みんなが同期で本当に良かった。
怪我も多い学年でピッチ内に全員が揃う時間は少なかったけど、ホーム最終節で同期5人が同時出場することが出来て、今までやってきたことが少し報われた気持ちになりました。ここまでお互いの良い部分も悪い部分も言い合える学年はなかなかないと思うし、本当に感謝しています。ありがとう。
引退したら同期会しようね。
後輩へ
年下とは思えないぐらい生意気な人が多くて雑な絡みが殆どだったけど、ピッチ内では本当に頼れる後輩でした。頼りになる4年生ではなかったかもしれないけど、幾度となくみんなの声に励まされ、時には自分を奮い立たせる要求の声をかけてくれてありがとう。みんなと一緒にプレーした日々を忘れることはありません。ブログに名前を出して欲しいと何人かに要望されましたが、長くなってしまうので感謝は直接伝えさせてください。
そしてインカレ出場、1部昇格の目標はみんなに託します。来年下田でみんなの活躍を見られることを楽しみにしています。
テソンさん並びに社会人スタッフの皆様へ
テソンさん、4年間ピッチ内外で指導していただきありがとうございました。
自分の意思を伝えることが不得意で、本当に扱いづらい学年だったと思いますが、最後まで色々な角度で物事を伝え続けてくださったことは本当に感謝しています。
テソンさんから求められるプレーや期待に応えることは出来なかったと思いますが、大学で初めて考えてサッカーをすることの楽しさや難しさ、チームの為にプレーすることの大切さを知ることが出来ました。そしてテソンさんからプレーを褒められた時の嬉しさは何にも代え難いものでした。本当にありがとうございました。
中田さん、八木さん、タカさん、福本さん、理紗さん、彩花、男子部スタッフの皆様、どんな状況の時にも私たちを支え、グラウンドに足を運び、チームの為にご尽力いただき本当にありがとうございました。
両親へ
私がこの15年間サッカーを続けられた唯一の変わらない原動力は「両親に活躍した姿を見せたい」でした。
まずはお父さん、いつも私の活躍を期待してホームアウェイ関係なくグラウンドに足を運んでくれてありがとう。お父さんの声援は常に届いていました。これからは社会人の大先輩として色々学ばせてください。
そしてお母さん、どんな時も私の味方で、時には厳しく正しい道に導いてくれてありがとう。辛いことがあっても玄関の扉を開く時には、涙は流さないようにと思えたのはお母さんを心配させたくないという一心からでした。落ち込んでいる時も何気ない会話をするだけで元気になれたし、2人で話している時が私にとって貴重で大切な時間でした。これからもよろしくお願いします。
これからは胸を張って親孝行が出来たと言えるように成長していきます。
この場をお借りして4年間関わってくださった全ての皆様に感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
次は度重なる大怪我を乗り越え、主務としてチームを支えてくれた同期の大井沙羅にバトンを託します。高校の頃は認識していたけど、一言も話したことがないある意味貴重な同期の一人でした。笑
ソッカー部に入部してからは沙羅が一人暮らしを始めるまで毎日グラウンドまで一緒に通い、多くの時間を共に過ごし、趣味も共有出来る大切な存在でした。多くない時間だったけど、沙羅と一緒にプレーした時間は本当に貴重な時間でした。
常にチームの為に動きながら、怪我と向き合い復帰を果たした彼女のブログにご期待ください。
拙く纏まりのない文章でしたが、最後までご覧いただきありがとうございました。
今後とも慶應ソッカー部女子の応援をよろしくお願いいたします。