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2025.06.03 部員ブログ

『頑張る勇気』(2年 廣本瑞季)

ツッコミは秀逸なのに普通に喋ると驚くほどオチのない話をする同期の宮嶋ひかりからバトンを受け継ぎしました、文学部2年の廣本瑞季と申します。私は勝手にひかりとプレーの波長が合うとささやかな特別感を抱いていたのですが、彼女のリレー日記を読むとどうやら私だけではなかったようです。ひかり、いつも良いパスをありがとう。あと、訴えはもっと早く言ってください。普通に申し訳なさすぎます。

 

さて、このリレー日記を執筆している今日は私の20歳の誕生日です。誕生日の日にリレー日記に追われることになった自分の計画性のなさには少々呆れますが、せっかくなので大人らしく余裕のある文章を書いていきたいと思います。

 

これまでの19年を振り返ってみると、私という人間は昔から暇さえあれば考え事をしていることに気付かされます。特に中高大と電車通学の私は電車の窓の外を眺めてぼーと考え事をするのが日課で、そのせいで起きているのに乗り過ごすことが時々あります。最近になって、静かに電車を降り、何食わぬ顔で向かい側の電車に乗る術が身に付いたことはさておき、私は一度自分の世界に入るとなかなか抜け出せない厄介な性格なのです。そこで、今回のリレー日記では、そんな私の車中セルフ討論会の最近のホットトピックを少し綴ってみようと思います。(この前中高時代からの友達に「瑞季って意外と思想強いよね」と言われたので、過激になっていないか少々不安ですが、あくまで個人の意見ということを念頭に置き、温かい目で見ていただければと思います。)今の自分は何かを偉そうに語れる立場でもないですが、そんな最弱ポジの自分が書く文章もそれなりに需要があるのではないかという淡い希望を持っているので、ぜひご一読いただけると嬉しいです。

―――

サッカーを再開すると決めてから一年、現実は想像以上に厳しかった。最初の頃は良かった。ただサッカーが出来るようになったのが嬉しくて楽しかったから。でもそんな新天地ハイ(私が勝手にそう呼んでいる、新しい環境で気持ちが昂ることの意)はいつまでも続かない。サッカー漬けの生活が日常化することで見えてくる厳しい現実。周りとの圧倒的な差。自分が練習のクオリティを著しく下げているという自覚。先の見えない毎日の中で決して初めてではないこの感覚に、私は嫌でも今までの人生と重ね、徐々に頑張ることに疲れていってしまった。どれだけ頑張ろうと、どれだけ成長スピードをあげようと、たとえそれで周りに追いつこうと、フィールドが変われば残酷なほど無意味で、環境が違えばそれまでの努力は捨象される。悔しいほど何にもならなくて、頑張りが報われないことなんてザラにあって、頑張りが正しい方向だったかなんて結果が出るまで分からない。努力があまりにも残酷で不確実で儚いもので、それを痛いほど味わってきたから、それが分かっているから、努力することが怖かった。日々の練習をこなすことに精一杯な私は、それ以上の苦しみを自ら課してそれを乗り越えるエネルギーもなく、いつしか自分が傷つかない程度の努力しかしなくなっていった。頑張ることに意味があるとか、過程に意味があるとか言うけれど、私にとっては何の励ましにもならなくて、むしろ頑張ってきたことが仇になって頑張れなくなるという方が100倍腑に落ちて100倍自分に相応しかった。

 

世の中に努力の大切さを伝える名言は溢れるほどある。私達は、その名言に心を奮い立たされ、現実に立ち向かう活力をもらうわけだが、時としてそんな簡単に一言で表していいのかと違和感を覚える時がある。おそらく全人類が幼い頃から努力の重要性を説かれ、学校の先生からありがたい名言を教わり、「努力の大切さ」なんていう卒業文集を大きな字でつらつらと書き、多かれ少なかれ努力によってある程度の成功体験を得るにも拘らず、努力することは成長するにつれどんどん難しくなっていく。その一方で努力に対して向けられる視線は子どもも大人も大して変わらなくて、どんなコミュニティであれ、努力の出来る人間と出来ない人間とでは明確な線引きがなされる。だが、実際努力とは私達が思うよりはるかに複雑かもしれない。

 

実りそうな努力は意外と誰でも出来る。逆に実らないと分かっている努力をする人は稀な変人を除いてあまりいない。難しいのは「実るかどうか分からない努力が出来るか」である。それはある種の賭けであって、未来の自分への投資でもある。今やっている頑張りは、すぐには結果には結びつかないし、いつ結びつくかは誰にも予測出来ない。一ヶ月後かもしれないし、半年後かもしれないし、もしかしたら一生来ないかもしれない。だから、努力という賭けに出るにはものすごい勇気とエネルギーがいる。なぜなら報われる保証はないから。努力という大金をドブに捨てるかもしれないから。小さい頃は馬鹿な努力を馬鹿みたいに出来るが、成長とともにその不確実性を学び、努力に対してある程度の実現可能性を予測するようになると努力が怖くなる。それはある意味怠惰である意味賢い。だから、思考力と経験値が身についてから愚直に頑張ることは、大人になってからサンタを信じることくらい難しい。

 

それに、努力の成果というのは長期的な経験の産物であって、短期的な成果はどこか再現性が低くて脆い。勉強であれスポーツであれ何事も成果はある時突然現れるもので、それまではわずかな前進と長い停滞と時には退化を繰り返しながら成果の出ない毎日を過ごす。だが人というのは単純な生き物で、何か結果に直面するとすぐに短期的な因果関係を見出そうとする。今日の頑張りが目に見える形で報われないと頑張り自体を疑おうとする。だから、成果の出ない毎日で努力し続けることは、先の見えない真っ暗なトンネルを止まらずにまっすぐ進むことくらい難しい。

 

やってみないと分からないし、やっても分からないし、そもそもやり方があっているのかも分からない。結果論でしかないのに、良い結果を信じることでしか成り立たない。そんなにも恐ろしいものから逃げようとするのはある種当然かもしれない。だけど、私の置かれた立場ではそんなことを言っていられないのもまた事実なのである。だから、私は未来に努力という大金を賭ける勇気を、傷つく勇気を、20歳になった今もう一度持ちたい。実らないかもしれない、報われないかもしれない。その恐怖に駆られてもなお努力をするという選択を、勇気を持って選び、エネルギーを持って続ける。目先の感情に流されず、目先の成果に囚われず、あくまで長期的な視座を持って賢い努力を馬鹿みたいに出来る人になる。自分がどこまでいけるか分からないが、これを20歳の抱負として私のリレー日記を締めたいと思う。

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次は試合前に、頭が何個あるのかと突っ込みたくなるほどの本数のヘアバンを市販の板ごと持ってきてギリギリまで色で悩み、試合中は惜しいプレーをする度に必ずジャンプすることでお馴染みの癖強同期、髙松芽衣にバトンを渡します。彼女はチーム1のギャルでいつもオシャレな服を着ているので、最近は同期のコーデが芽衣に似てきており、後ろ姿が分かりづらいという弊害が出ていますが、そんな髙松ブームを巻き起こす彼女の仕事ぶりにはいつも助けられています。芽衣、いつもありがとね。あと、他の同期から「芽衣が瑞季のことこう言ってたよ」という報告をちょくちょく受けるのですが、同期を介して喜んだりツッコんだりする自分が少しばかり虚しいので悪口でないなら今後は直接私に言ってほしいなと思っているところです。

 

 

拙い文章ではありましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。

今後とも温かい応援のほどよろしくお願いいたします

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