2025.06.17 部員ブログ
『生きてるだけで丸もうけ』(2年 堀田朱花)
リレー日記をご覧の皆様、こんにちは。
一見するとクールな印象ですが、守備時の献身的な戻りなど、チーム愛があるからこそ生まれるプレーが魅力的である、「愛に溢れる熱い女」髙松芽衣からバトンを受け継ぎました、商学部2年の堀田朱花と申します。入部当初、芸人の林家パー子さんのような甲高い笑い声に少々驚いた私ですが、共通の時間を過ごすうちに、自分の意見をしっかりと発言でき、何事にも動じないカッコいい芽衣に少々憧れのような感情を抱いてきている今日この頃です。もちろん、「きゃはきゃは」と笑うところなど可愛い一面もたくさんありますが。そのせいか、最近、「あんた」とか「おもれー」とか不思議な口癖も移ってしまっています。口癖だけではなく、芽衣のような本物のカッコいい女に近づく第一歩として、「前ちゃんと見えてねーと、運転できねーよ!」という反論として、私が車のハンドルを握っている姿をみんなにお見せしましょう。だから、今度みんなでいろんな所にドライブ行きましょう!
いつもは恥ずかしくて、本人に直接言えない芽衣への愛を綴っていたら、少々前置きが長くなってしまいました。このリレー日記を見た芽衣に気持ち悪いと思われていないかとても心配ですが、気にせずに本題に入りたいと思います。拙い文章ではありますが、普段語ることのない私の人生観を述べさせていただいているので、最後までお付き合いいただけると幸いです。(19歳ながら人生を語るには早すぎるし、自分でも何様だと思いますが、19歳の一人の若者の人生に対する意見として広い心で受けとめていただけたらと思います。)
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私がサッカーを再開して1年が経ちました。この1年間を振り返ると、同期をはじめとした最高の仲間との出会いやチームメイトと遊んでいる時間、サッカーの上達を感じられる瞬間、同期、先輩、コーチ、テソンさんから褒められた瞬間、きついラントレを乗り越えた瞬間など、たくさんの幸せな経験ができました。その一方で、辛い経験もたくさんありました。サッカーを再開したばかりの頃は周りのレベルに全くついていくことができず、練習についていくことだけでも必死。「みんなの練習を邪魔してしまっている」「チームにとってマイナスだから、自分なんか辞めてしまった方が良いのではないか」「慶應ソッカー部女子に入ってサッカーをやるという決断は間違いだったのではないか」など、後ろ向きな考えばかり浮かびました。家に帰宅すると、両親に良い報告をできない日ばかり。入部する前に、過酷な状況になることは自分なりに想像していましたが、正直なところ思っていたより何倍も辛い日々でした。
そのような辛い日々の中で、終いには「なんでサッカーを再開してしまったのだろう」「サークルに入っていれば、高校時代の友人のように遊びも楽しみながら多くの人生経験を積めたのではないか」「いろいろな選択肢がある中で、なぜこの選択をしてしまったのだろう」と繰り返し悩んでしまう始末。 でも、練習から帰宅後、我が家の愛犬ロン君の可愛い寝顔を見ている時に「自分って幸せだなぁ」と最近では思えるようになりました(未だ、上手くいかなくて辛い、悔しいと思うことは当然としてありますが)。
自分の意思で何かを決めることが、ロン君は私よりも限られています。食べるものや、散歩に行く時間も自分では決めることができず、飼い主の突然の外出により一人で退屈な留守番を強いられることもあります。一方で人間は、何をするにも、多くの選択肢の中から自ら決断をすることができます。その結果として辛い経験をすることもありますが、幸せな経験をすることもできます。人間は決断というスリル満点な行為によって自分の行く道を決めることができる上、うまくいけば幸せな経験をたくさん積むことができます。この「決断」という行為ができるのは人間だけで、こうしたスリル満点な人生を生きられている今に、私はとても幸せを感じています。
高校時代にも辛い出来事はありました。その時も「ロン君はいつも好きな時に好きなだけ寝ることができて、みんなからたくさん愛されていて、自分も家族に愛されるペットとして生まれたかった」と思うことがありました。それと同時に「なぜ、人間は生きているのだろう」と思うこともありました。そう思う度に、「なぜ人間は生きているの?」と私は父に質問していました。私の質問に対する父の回答は「本能だから」でした。当時は「本能って何?」と全く理解ができず、父の答えに納得がいきませんでした。ですが、このところ、父の言う「人間が生きる理由は本能だからである」ということが、漸く少しだけ分かってきたような気がします。考えてみれば、私達人間が「死にたくない」と思うのは、「幸せを感じたい」「10年後、20年後も幸せに生きていたい」と思い、それを信じているからではないでしょうか。サッカー経験未熟な私が4年間サッカーをやり通すことで幸せをたくさん経験し、充実した大学生活を生きたいと、少なくとも私は思っています。そして、その先にあるこれからの私の一生についても、「この人生が終わらないでほしい、一生続いてほしい」と思うことができています。だから、人間が生きる理由というのは「幸せに生きたい」という欲求が無意識のうちに出ていること、それが父の言う本能ではないかと、私は考えるようになりました。
人生は経験を積むゲームだと私は思います。人生においての幸せな瞬間は、私達にとって心地よい一瞬だと思います。しかし、この幸せな瞬間を得るには、やりたくないこともやらねばならなかったり、不運な状況に見舞われたり、多くの辛い経験を乗り越えなければなりません。このようなたくさんの困難を乗り越え、一生懸命に日々を生きる、それが人生、人の一生だと思います。サッカー経験の浅い私が、経験豊富な部員が多い慶應ソッカー部女子という組織に身を置きサッカーをプレーすることは、周囲の大学生と比べて身体的にも精神的にも大変な状況にあるのかもしれません。しかし、こうした辛い経験を通して得られる幸せな瞬間は必ずあり、体育会で本気でサッカーをプレーしているからこそ得られるものであると思います。また、私の今後の人生において役に立つような経験をたくさんできるとも思っています。そのため、「辛いことが山ほどあってもサッカーをやり続けよう」と思うことが、今、できています。そして、最高の仲間とともにサッカーに挑戦できていることに大きな幸せを感じています。辛い経験の方が上回る過酷な4年間になるかもしれませんが、私の人生においての大きなチャレンジに全身全霊で挑戦し、「これからも、幸せな瞬間のために、辛抱強く、一生懸命、がむしゃらに頑張り続ける」ということを胸に、私のリレー日記を締めたいと思います。
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次は、「のんちゃん」の愛称で親しまれ、1年時から守備の要としてチームを牽引する同期の米口和花にバトンを渡します。普段は「和花」という名前の通り、周りを和やかにさせる雰囲気の持ち主で、ほわほわした喋り方が魅力的ですが、ピッチ内ではディフェンダーながら積極的に攻撃参加をし、先日の武蔵丘短期大学戦では「1試合で自分が4点取ってくる!」と言うほど、勇猛果敢な一面も持ち合わせています。のんちゃん、いつもたくさんサッカーのことを教えてくれて、サッカー以外のプライベートでもたくさん遊んでくれて、本当にありがとう!これからもいろんなところ遊びに行こうね! 映画鑑賞中に寝てしまうのはご愛嬌で。でこぼこコンビとしてこれからもよろしく!
締まりのない文章ではありましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。
今後とも温かいご支援・ご声援のほどよろしくお願いいたします。

