2025.10.29 引退ブログ
『存在意義』(4年 守部葵)
ホームページをご覧の皆様、こんにちは。
今年度副将を務めさせていただいております、環境情報学部4年の守部葵です。
芹さんヘクタールおばさんの紹介ありがとう。
普通、人脈が広いことは「顔が広い」と表します。「顔がでかい」は悪口に値すると思うのですが、いかがでしょう。ヘクタールお姉さんではなくヘクタールおばさんなのが引っかかる点ではありますが、すぐ友達になることを褒めてくれていると思って受け取ります。
芹とは下田在住仲間として多くの時間を共に過ごしました。印象的な思い出は主将決めの時期になり、私と芹は下田寮のロビーで夜な夜な語り合い、最終的には留学生が入り、3人でお話しして終わったことです。あの時芹に面と向かって「変わってほしい」と言われていなければ今の自分は居なかったのかもしれません。ありがとう。個人的に感謝は伝えますね。あ、もう来年はサッカーの話はしなくて大丈夫だと思うので、2人で日本一周旅行にいきましょう。一緒に行きたい方がいたら、芹が許可するかはわかりませんが是非連絡待っています。
最後の部員ブログは何を書けば良いのだろうか。怪我のことか。副将のことか。私のキャラクターについてか。私の原動力である仲間についてか。親愛なるテソンさんについてか。ソッカー部を愛してやまない弟についてか。
何が良いのだろう。決められない。なぜなら全てがソッカー部人生で手にしたかけがいのない宝物であるから。
決めた。全部書く。最後までお付き合いください。
「プロサッカー選手になる」
この夢だけを追い続けて大学までサッカーを続けてきた。しかし、昨年その夢は諦めた。
「私はサッカーが大好きだ。」
小学生の私をそんな気持ちにさせてくれたFC千代田から始まり、浦和レッズレディースジュニアユース、十文字高校と常に高いレベルに身を置き、必死にもがき続けた。
どんなに苦しくてもきつくても、「ゴールは今じゃない。将来プロになれればいい。」と自分に言い聞かせてその時にできる最大限の努力をしてきた。
しかし、大学サッカー終了というタイムリミットが近づくにつれて焦りが増してきた。その焦りは悪循環となり、怪我を繰り返し、次第にサッカーを好きでいることさえ難しくなった。
私のプレーの特徴は、ボールを持った時の臨機応変さ、両足から放たれる楔やフィードでのチャンスメイクである。
すなわち、「両足とも不自由なくボールが蹴れる」が前提のプレースタイルである。
しかし、8回も右膝の負傷を繰り返す私は、次第に左足で蹴ることができなくなってしまった。いつも通り左足でボールを持ち、奥に味方が走り出すのが見えても、蹴ることができない。怪我を恐れ、蹴る勇気が出ない。
怖さを払拭しようとネットに向かってボールを蹴り続けた。暗闇の中ボールを蹴ることもあった。それでも思うように蹴れない。蹴る感覚が戻ってこない。
たかが左足で蹴れないだけだが、私の中で武器が武器でなくなってしまうことはサッカーをしてないのと同じくらい苦しかった。一気にサッカー選手としての能力がなくなった気がして、日に日にサッカーが嫌いになった。
「こんなんでプロになれるわけがない。もう無理だ。」
はじめてプロを諦めた瞬間だった。悔しかった。
今まで散々苦しい思いをしてもプロになるために必死に耐えてきたのに、本当にいいのかと何度も自分に問いかけた。しかし、自分の中でそれが変わることはなかった。
自分の夢を諦めても、ソッカー部の一員である以上、チームのために身を捧げる必要があることは理解していたが、正直プロにならないならサッカーなんてやっている意味がないと思っていた。怪我をする度に何のために練習に行くのかが分からなかった。「こんなに辛いならやめた方がマシだ。」そう思っていた。
昨年怪我をしていた時は、練習中は外からただ声を出してチームの練習をサポートし、毎日自分が好きな時にリハビリをして、空いている時間で友達と会う。一見サッカーに向き合っているかのように見える。私もそう思っていた。しかし、今考えると何にも向き合ってなんかない。チームにも自分にも。ただ日々をうまくこなしていただけだ。
そのような時に始まった主将決め。
サッカーの経歴もサッカーをする目的も様々なこのチームには「総和」が必要であり、このチームに足りないのは「総和」であると思っていた。人よりも多く怪我や挫折を経験してきているであろう私が主将になることで、このチームで「総和」を体現できると思った。だから、私は主将に立候補した。一人ずつ後輩に意見を聞いた時、私に期待してくれる声が多かった。
しかし3年間私を一番近くで見ていた同期が私を指名することはなかった。当たり前だ。あんなに舐めた毎日を送っていたのだから。情けなかった。ダサかった。そんな自分が嫌だった。
同期は私への期待をかけて「副将」に指名してくれた。
沢山の時間をかけて、本音でぶつかって決めた役職。私がこのソッカー部の副将になるからには変わらなければならないところが沢山あった。全てを変えて、副将を全うしたいと思った。同期の選択を、私の決断を、全て正解にしたいと思った。
そこで私らしい副将のあり方を考えた。
「行動や姿で誰よりもチームへの想いを体現し、誰よりもチームのために力を使う」
そう決意した。
その日からチームやサッカーに本気で向き合った。下田に早くきてリハビリを終わらせ、練習中はとにかく中に声をかけ続け、練習を作る。かける言葉、意図、タイミングなど、みんなの心理状態を考えて発信する。そして、友達と会う時間を減らし、下田で多くの時間を過ごした。復帰してからもサッカーに向き合い、練習、トレーニング、ケア(心と体)で一日を埋め尽くす毎日だった。これが副将である私がチームの目標を達成させるためにやらなければならないことだと考えた。
私は去年まで、自分が出場していない試合で勝利しても心の底から喜べなかった。負けてもあまり悔しくなかった。それは自分が怪我をしていることを言い訳にして、このチームに貢献できていなかったから。このチームのために本気で身を捧げていなかったからだ。でも今は違う。
怪我から復帰した岡田がピッチに入る時自分が復帰したかのように嬉しかった。
後期の国士戦、芽衣が点を決めた時、嬉しすぎてベンチで涙が溢れた。
後期の立教戦、交代で入った紗莉のゴラッソが嬉しくて誰よりも大きな声で叫んだ。
点を決めてハイタッチしにきたひかりに頭を叩かれた時、興奮と痛みでよく分からない気持ちになった。
初奈が華麗なキックで会場を沸かす時、亜未がストライカーを発揮する時、朱花がピッチに立った時、ルーキー葵が大事なところでゴールを決めた時、同期がゴールやディフェンスで活躍した時、全てに喜びを覚えた自分がいた。
例え自分が出ていなくても、出場時間が1分でも、心の底からチームの勝利を喜んでいる自分がいた。
それは、「このチームを心から愛し、チームに向き合い続け、チームのためにできることを全てやっている。」と胸を張って言えるから。少しばかりでも貢献している自負があるから。
私がこの組織にいる意味はここだ。
チームが勝利するために。チームが昇格するために。
プロになる夢を諦めたからといってこの組織にいる意味を見失う必要なんてなかった。
チームで決めた目標を達成するために、仲間と喜び合う瞬間のために、大好きな人と大好きなサッカーをするために。理由なんていくらでもある。でも、どれも自分が本気にならなければそれを手に入れることはできない。
ソッカー部にいるからこそ私はここまで本気になれた。
「私は本気でこのチームで二部優勝・一部昇格したい。」
私の今の夢はこれなのかもしれない。
最後の笛が鳴るその時まで、チームのためにやり続ける。サッカーを楽しむ。
絶対に夢を叶えてサッカー人生を終えよう。
こんな幸せな終え方があるのだろうか。最後まで幸せをありがとう。
「私はサッカーが大好きだ。」
————————————————————————————————————————————————————
大好きなサッカーをここまで続けられたこと、全ては私に関わる皆様のおかげです。この場を借りて様々な方への感謝を述べさせていただきたいと思います。長くなってしまったので、ご指導してくださった方、治療してくださった方、私に感謝される覚えのある方は自分の名前を探す程度で読んでください。
テソンさん
4年間テソンさんの優しさに触れ、人に向き合うことの大切さを学びました。監督がテソンさんでなければ、大学4年間での成長はなかったと思います。またテソンさんの愛は個人的に伝えさせていただきますが、本当に感謝でいっぱいです。最終節、優勝して胴上げさせてください。
たかさん、福本さん、荒さん
私のくだらない話から真剣な悩みまで聞いてくださりありがとうございました。私にとってコーチはとても心強い存在でした。また後日沢山の感謝を伝えさせてください。
OB・OG・社会人スタッフの方々
常に女子部の結果をチェックし、温かい声をかけてくださりありがとうございました。皆様のサポートがあるおかげでここまで来ることができました。
女子部
後輩
(本当は一人一人にメッセージを書きたいところですが、長くなってしまうので、個人的に伝えさせていただく形となりました。背番号7.8.9あたりの方々から「名前出すって言ったじゃん」と言われそうで怖いです。)
私が副将としてこのチームに向き合ってくることができたのはみんなのお陰です。
チームの中心となって活躍している後輩はもちろん、ベンチで声を出している後輩、試合に出るために自主練を重ねている後輩、怪我に苦しみながらももがき続ける後輩、暑い日も寒い日もチームのために動き続けるまりや。
本当に全員の頑張る姿に何度も助けられました。
今の結果があるのはみんなが目標のためにやり続けてくれたからです。本当にありがとう。
「大好きな後輩達に1部でプレーしてほしい。」
その願いが叶うまであと一歩のところまできています。
まだ形ある結果で貢献できていないですが、最終節で点を決めるので全員で抱きつきに来てください。必ず全員で。絶対に。
最後全員で「2部優勝・1部昇格」を掴み取ろう。
そして来年以降、インカレ、早慶戦で最高の景色を見てほしい。
先輩方
卒業してもご飯に連れて行ってくれて話を聞いてくれて、応援してくれて、嬉しかったです。みなさんが未熟な私と向き合ってくれたから今の私があると思います。ありがとうございました。
同期
それぞれが苦しみ抜いた4年間だったかなと思います。それでも自分達のことを信じてやってきてここまできました。優勝まで本当にあと少し。みんなでサッカーできるのもあと少し。
絶対優勝しよう。最後は絶対笑って終わろう。
本当に4年間ありがとう。またそれぞれ感謝を伝えさせてね。
男子部
なかなか異例だとは思いますが最後なので男子部への感謝も述べさせてください。読んでくれているってことは感謝を伝えるべき人だと思うので、、。
グラマネの方々(+くがくん)。お忙しい中、嫌な顔ひとつせずに毎週女子部の紅白戦に入っていただきありがとうございました。
男子部キーパーズ。次の日朝早いのに練習に来てくれたり、シュート練習に付き合ってくれたり、シュートゲームとか紅白戦で沢山声出してくれたり、沢山感謝です。
選手の方々。芹からの紹介にもあった通り、私はすぐに話しかけてしまうので、「こいつ変なやつだな」と思わせてしまっていたらすみません。それでも「あおいさん膝どう?」とか「復帰おめでとう」とか「頑張って」と声をかけてくれる人がいたり、「あおい飯奢って」と言ってくる人がいたり、何気ないコミュニケーションで元気になれることがありました。
慶應を背負い戦っている人も、怪我で苦しんでいる人も、Bチームでチームを引っ張り続けている人も、悔しさを押し殺し、声を枯らして応援している人も、勝手ながら、全て私の原動力になっていました。
これからも皆さんのことを心から応援しています。特にFC千代田の血が流れる雄大をはじめとするかわいい葵ちるどれんに期待しています。
武冨先生、原藤先生、ゆかさん、りささん、あやかさん、ゆうき先生、みずきさん、ひろこ先生、羽鳥先生、辻さん
怪我だらけの私の体を少しでも良くなるように治療してくださり、ありがとうございました。なかなか思うようにいかず苦しい時間が続きましたが、診察や治療、トレーニングに行くと、復帰に向けてモチベーションが上がる話をしたり、たわいもない話をしたりして、怪我で苦しいはずなのに笑顔になれ、「また頑張ろう」と思える、そんな時間でした。
私がここまで来られたのは紛れもなく皆さんのおかげです。優勝し、恩返しします。私の活躍を是非見てください。
また個人的にお礼を伝えさせてください。
サッカー仲間達
サッカーで出会えた仲間はかけがえのない大切な存在です。
どんな時でも私に笑顔と刺激を与えてくれたレッズファミリー。卒業しても定期的に会って元気をくれた十文字ファミリー。サッカーの楽しさを思い出させてくれるFC千代田の子供達。
怪我を抱えながらもキャプテンとしてチームを引っ張り続ける早紀の姿。
苦しみながらもキャプテンマークを巻いてもがき続ける沙良の姿。
試合に出られなくても努力を続け、今では毎試合結果を残しているりりの姿。
ずっとサッカーできてなくても前向きにひたむきに頑張るよっしーの姿。
他にも沢山の仲間の姿が原動力になってここまでやって来られました。
みんなの姿を見ていたら限界なんてものはなくて、やり続けることができました。本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。いつか競技を引退したらみんなに恩返しします。
いつも応援してくれているお友達
なかなか会えず、会っても次の日朝練だからと夜遅くまでいられなくてすみません。会った時は毎回楽しくて幸せな時間でした。最後の早慶戦、試合前にスタンド挨拶に行った時はみんなを見ただけで涙が溢れてきそうになりました。応援してくれてありがとう。もうしばらく応援よろしくお願いします。
家族
両親
サッカーを何不自由なくさせてくれてありがとう。なかなかサッカーをしている姿を見せられなくてすみません。恩返しができるように頑張ります。これからも振り回してしまうと思いますが、競技生活を終える日までよろしくお願いいたします。
凪
ソッカー部の試合はもちろん、私の友達の試合は全試合みているくらいサッカーが大好きで、誰かのサッカーを応援するのが大好きなんだよね。だからこそ、私がプロになりたかった。その姿を応援して欲しかった。それが叶えられなくてごめんね。でも、フットサルで活躍できるように頑張るね。これからもよろしく。
サッカー人生は11/2の最終節をもって終了となりますが、12月に手術をして新しい膝を手に入れ、「フットサル日本代表選手になる」という新しい夢を叶えられるようにまた一から頑張りたいと思います。
次はあの食べるのが遅いで有名な慶應の守護神、中村美桜です。
美桜はこの組織の誰よりも大きな決断をしました。彼女はその決断を正解にしようとたくさんの努力を重ね、今ではコンバートした選手とは思えないくらい横っ飛びをかましています。
美桜との思い出は、1年生の時に2人でよくカラオケに行っていたこと、4年生になり沢山シュート練習に付き合ってくれたこと、ご飯を食べに行くと食べ物の量が3倍もあるのではないかと錯覚してしまうほど食べるのが遅いこと、まだまだ沢山ありますが、この辺にしておきます。
どんな頼み事でも嫌な顔ひとつせずにこなし、周りの人を明るくポジティブな気持ちにしてくれる存在がいなくなってしまうと思うと私の今後が心配になります。
最後に、あの時キーパーになるって決断してくれてありがとう。優勝して美桜の努力が証明されたら本望です。
そんな彼女がこの4年間をどのような思いで過ごし、そこから何を語るのか。美桜の文章楽しみにしています。美桜よろしく。
拙い文章でしたが最後までお読みいただきありがとうございました。
今後とも慶應ソッカー部女子のご支援ご声援の程、よろしくお願いいたします。

