2022.11.15 引退ブログ
『120点』(4年 田中里奈)
初めに
ホームページをご覧の皆様、初めまして。
今シーズンから副将という新しい役職でチームに様々な面で貢献してくれたことに加え、心強いセンターバックとしてピッチ上でも活躍を見せてくれた3年福岡愛実からバトンを受け継ぎました、経済学部4年の田中里奈と申します。
彼女とは部室で本当に意味がなさすぎて内容を一切覚えていないような会話しかしていませんが、練習や試合になると戦術やプレー面において常に分かりやすく説明してくれる真面目さと優しさを持っています。ただ最近私のことを舐めすぎていることが非常に多いのですが、お米部の大事な一員なので許してあげようと思います。
これは私の最初で最後のリレー日記です。現在、愛実の紹介文を書くだけでもう1時間以上が過ぎ、卒論以来の危機に立たされています。絶対に11月5日の早慶戦兼、引退試合が終わってから書き始めたいという拘りを持ってしまったことが仇になり、日本語の長文なんて就活のESぐらいしか書いたことがない私があと2日で終わらせられる訳がないと絶望していますが、私の簡単なサッカー経歴と女子部に入ることになったきっかけ、そして1年2ヶ月過ごした女子部を引退した今感じること、学んだこと、知ってもらいたいこと、伝えたいことを“リレー日記”と言うことで、日記方式で書き留めたいと思います。初めて書く内容と、終わりに書く内容を詰め込む形になるので統一感が全くないことをお許しください。
経歴
まず私の経歴を簡単に紹介します。
・0〜9歳 大阪府在住
・9〜18歳 親の転勤でアメリカミネソタ州に移住
・18歳〜 大学進学(9月入学)のため帰国し東京に移住
私は小学5年生あたりに母に「サッカーのキャンプやってみる?」と聞かれ、「そんなやる気ではないけどまあ行ってみるか〜」とかなり適当な考えでサッカーを始めました。当時の選択が違っていたら、今の自分はかなり別人な自分になっていたと思います。当時の自分good job!
そのキャンプから帰ってきたサッカー歴1日の私は「楽しい!なんやこれ!」と感じ、例えるなら子供が初めてiPhoneを与えられたように、とにかくずっとサッカーをやっていたいという気持ちになったのを覚えています。
他のスポーツも楽しくやっていましたが、サッカーほど夢中になれるものはなく、そのままサッカーをメインにやり続け、小学校・中学校時代はサッカークラブで週1~3回の練習という環境でプレーしていました。様々なトレーニングキャンプに参加させてくれた親には本当に感謝しています。この時点で初めて、リーグ戦を通して一回も勝てない、なんなら毎回かなりの大敗北という経験を味わった記憶があります。アメリカでプレーしたチームは全て完全な個人技勝負だったので、結果に対しても「実力の差だからしょうがないか」とどこかで思っていました。
高校に入ってからは環境もマインドセットも激変しました。進学した高校はミネソタ州で常にランキングのトップを争っている強豪校で、入部したくても人数制限があり新入生が必ず30人ほどは拒否されてしまう、新入生として入部できても毎年同期の何人かが絶対サッカーを辞めさせられる、という過酷な環境でした。私は当時の多大な努力の甲斐もあり無事入部でき、4年生になるまでにはトップのチームに選ばれることができました。
ただ高校サッカーでは少し未練を残すことになります。2017年10月、絶対優勝をチームで掲げて挑んだ高校最後の舞台の州大会のセミファイナル直前に足首を捻挫し、試合には間に合いませんでした。結局怪我人が続出したこともありセミファイナル敗退。州3位という結果で終われたものの悔しさとやり切れなさが心のどこかに残っていました。
大学はそのままアメリカの大学に行くか帰国するか悩みましたが、日本人が非常に少なかったところに住んでいたためか日本人としてのアイデンティティが強くなっており、大学は環境を一新して新しい場所で生活したいと言う思いが重なった結果、慶應義塾大学に合格し、2018年9月に帰国しました。サッカーは続けたいと思っていたためOGの方が連絡を取ってくださり、ソッカー部女子に仮入部という形で1ヶ月ほど過ごしました。ただ、そこでは環境や当時の状況的にうまく馴染めず入部しないという選択を取りました。この決断に対しての後悔は全くありません。その後バイトや学生団体に入ったりして普通の大学生活を送っていました。
女子部との再会
2021年の7月終わり、就活や長期インターンに励んでいた私にインスタで一通のDMが届きました。TEAM2021の主将、里衣子からでした。
「サッカーまた一緒にやらない?」
そのメッセージを見た瞬間、「雷に打たれたように」ってこういうことなのか、と思うような電撃が全身に走った気がします。真理加は起床時の心拍数が170超えらしいのですが、当時の自分も携帯をいじっているだけなのに絶対同じくらい心拍数が上がっていました。当時の状況で体育会に私なんかが入れるのかどうかなんて考えずに「すごくやりたい」と即答していました。当時の女子部は怪我人が非常に多く、今からでも是非入部してほしいとの事でした。1回辞めたのに、再度女子部でサッカーをする機会をいただき、ノーと答える理由はいくつもあったものの、当時の私の中にその選択肢は存在しませんでした。大好きなサッカーでこんな機会をくれたチームに貢献できるなら是非入部させてほしい、というような思いしかありませんでした。また、もう一つの大きな理由は当時のTEAM2021に「心を動かされた」ということです。まだ入部前にベンチで観戦した0−9で負けた一つの試合がありました。勝ち点を取るのに苦しんでいたのは知っており、昔自分が所属していたチームが同じような試合状況になった時と似ている感じなのかな、と思っていましたが全く違いました。どれだけ差が開いてもお互いに声を掛け合って全力でボールを追う姿を見たときに「入部しよう」と決めました。入部の主な理由は述べた通りですが、他に別の理由もあるとずっと感じていて、1年間考え続けました。驚くことに、答えが見つかったのはついこの間テソンさんから言われた言葉の中です。
リーグ最終節である武蔵丘短期大学戦の試合前ミーティングで、テソンさんが私の入部当初の話をしてくれました。そこで当時の私に対し「サッカーに飢えているな」と思われたと聞いて「あ、それだ」と思いました。ただサッカーが好き、したいのレベルではなく、本能的に本気でサッカーする事を欲している、という思いが心の底から上がってきたのだと思います。見つからなかった言葉をバシッと言い当てていただいた感じです。また、テソンさんが入部当初のことを覚えていてくださったのはすごく嬉しかったです笑
葛藤
その日から早朝5時に寝るというだらしない深夜逆転生活から一変し、5時に起きてサッカーをしに行くと言う日々が始まりました。入部後はサッカーをまたやれるという楽しみと有り難さを感じつつ、徐々に不安や心配が押し寄せてきました。本気のサッカーをしたのがちょうど4年前。まず足が前みたいに動かせない、簡単なボールコントロールすらできない、体力も一回スプリントしただけでバテてしまう、自分の使うサッカー用語が通じない(当たり前)、みんなの言っていることが聞こえるのに音を聞き取れない、聞き取れても意味がわからない。全国経験レベルの選手もいる中で本当についていけるのか、感覚はいつ戻ってくるのか、そもそも戻ることがあるのか、いつかみんなが何を言っているのかが分かる日はくるのか。とにかく練習しまくろう、隙間時間さえあれば自主練も欠かさずやっていました。その頃、不安を和らげてくれたのがチームのみんなです。いきなり入ってきた訳のわからないやつに対して気さくに話しかけてくれてチームに受け入れてくれました。みんな本当にありがとう!
9月にアウェーのリーグ戦で途中出場デビューし、次戦の早慶戦には大変光栄なことにスタメンに選んでいただきました。パニクリすぎて試合後に足の全てを攣った記憶があります。その後続いたリーグ戦も毎回フル出場させていただきましたが、緊張と嬉しさが混じりあっていた感情の中でより強い存在になっていったのが「自分でいいのか?」「まだ何もできてないし言葉も理解してないのに」「走り回ることしかできてない」「早く上手くならないとやばい」という負の感情でした。入るときにチームに貢献するって決めたし、この機会を与えてくれた里衣子、テソンさん、受け入れてくれたチームのみんなにどうにかして恩返ししないと、と健康を無視してしまい、体がどんどん壊れていってしまいました。他のみんなはこの3年間ずっと頑張ってきたのだからこの間入ったばかりの自分が愚痴ったり弱音を吐くなんてダメだ、と思い無理に動きまわっていました。それに加え、下田に来る途中に自転車で転んで血まみれになったり、6半練の日の朝ちょうど6時半に起床して絶望したりするなどというミスを連発しました。部活外でも、練習で捻挫してオフィスに出社できなくなってしまったため当時の長期インターン先をクビになるなどの出来事が重なり、心も徐々に壊れていっていた気がします。
またちょうど来年の幹部を決める学年ミーティングが行われており、そこに自分も参加してはいるもののどう言う立場で発言をすればいいのか、意見があってもこの間入ったばかりの人に色々言われるのは流石に嫌なんじゃないかという考えがあり、モヤモヤしてしまっていました。ただ同期は「客観的な新しい意見ですごい助かるありがとう」や「気にしないでなんでも言って!」と言ってくれて心が楽になりました。特に、私がミスした時などにくるがくれた「くるは里奈の同期として何があっても味方だよ」という言葉には本当に救われました。なんか仲悪いとか思われているけど、フェイ、かりん、くる、のえは史上最高の同期です、ありがとう!今度ちゃんと初同期会しような笑
変化
サッカーをちゃんと楽しめているのかが怪しいような期間が続いた後、「自己評価もいいけど、他己評価もちゃんと気にしたら?」的なことをある人に言われて考え方が大きく変わりました。自分自身で勝手に評価を下げたり何もできていないと思い込んだりしている中、周りの人たちは別視点から私のことを見てくれていました。「りなが走ってくれるおかげで後ろは勇気づけられているよ」「入部してくれてありがとう」「この学年に居てくれてよかった」「りなってなんでいつも120%でできるの?」など、プレー面に関しては多くなかったもののありがたい言葉を沢山貰っていることに気づきました。そのときから良い悪い関係なくちゃんと周りの人たちの言葉をもっと聞いて信じてみよう、そう思いはじめてから心がすごく楽になりました。いつの間にか目標が「貢献したい」から「貢献しないとダメな立場だ」と義務みたいになってしまっていましたが、“I need to”から“I want to“の地点に立ち戻る事ができました。
“Never take anything for granted”
この言葉も辛い時に幾度も救ってくれました。これは私が常に大事にしている言葉で、「今ある全てが当たり前だと思うな」「当たり前に存在するものが次の瞬間には気づいたらなくなっているかもしれない」というような意味が込められています。自分の置かれている環境は誰かが恵んでくれた、あるいは自分が努力して掴み取った特別なものであるから、軽視しないで常にありがたさを持って過ごす。この言葉を思い出すたびに気持ちが折れそうになった時も頑張り続けることができました。
得たもの
この部活に入って得た考えや自分の中の決め事があります。
1つ目に、成功とは目標達成だけに限らず、成長や進化も立派な成功と言えるのではないか、ということ。今年のチームは一部昇格を目指して奮闘してきましたがそれは叶いませんでした。ただ、その目標に向かう為にみんなで費やした時間と苦労と努力はスタート地点にいたTEAM2022を驚くほど成長させて、何かしらの形で良い影響として帰ってくるはず。今年のプロセスを経て来年のTEAM2023はより一層強くなるはずです。これはテソンさんやスタッフ陣の方々がおっしゃっていたことをほとんどコピペしただけですが、非常に心に刺さったため書かせていただきました。
2つ目に、自分が決断して行動したことや選んだ道に対しては、それから学んだり今後に活かしたりはするけど、後悔だけは絶対にしないと言うことを自分の中で決めました。なぜなら当時の自分が一生懸命考えて出した最善の答えのはずだからです。自分は考えすぎてしまう癖があり、「あのとき日本に来るのは正解だったのか」「別のスポーツでもよかったんじゃないか」などの疑問を持ってしまうことが多かったのですが、背景も性格も価値観も多種多様な部員と関わっていく内に、お互いにリスペクトがベースにないと成り立たない組織だな、と感じました。そのとき、自分自身をリスペクトできない人間が他人にリスペクトという感情を心から持てるのか?と考え、まず自分自身との向き合い方を見直そうと思い、この決め事ができました。本当にソッカー部では信じられないほど多くの出会いがあり、別の選択をしていたら会っていなかったのか…と考えると余計後悔なんて感情は入る余地はありません。
最後に
この一年を振り返って第一に思い出すのは全て楽しい思い出ばかりです。本当に1年?っていうぐらい個人的には色々な事が起こりすぎて、体感5年くらい経った気がします。一つひとつの些細なことも全て大切な思い出です。練後に部室でダベることも、日焼け止めの塗り方をミスりすぎて「白っ」と言われるのも、試合前日に必ず桜子が「里奈さんマッチデイ考えてー」と言ってきて結局採用しないのも、2年生達の誕生日写真に乱入するのも、くると某一名と駅までの道でゾーンディフェンスより理解するのが難しい恋バナをしながら帰るのも、もうできないと思うと少し寂しいです。
疑心暗鬼になったり自信を失ったり自分を責めてしまうこともあったけど、最後までやり切った自分に、自分のサッカー人生に、100点満点中120点を付けてあげたいと思います。余裕の120点です。本当にやりきりました。めちゃくちゃ頑張った。でも今こうしてこんなことが言えるのも、本当に沢山の人が支えてくれたおかげです。サッカーキャリアで出会ってくれた人たち全員です。多分自分1人だったら20点くらいだったかも。皆さん、本当にありがとうございました!
こんなに長い文章はもう一生書きたくないです。内容的にも文字数的にも少々重くなってしまったかもしれませんが、おそらくハードルは下げまくったはずなので、残りの4年生ブログには期待しかありません。
次は女子部の「歩くスピーカー」と呼ばれている行徳のえにバトンを託します。
「舞浜」「ディズニー」と聞くと奇声を上げて誰も手をつけられないテンションになってしまったり、かりんへの愛が大きすぎてたまに無視されているのが可哀想ですが、いつでも積極的に仕事を引き受けてくれたり、周りに彼女が持っているパッションを伝染してくれる大好きな人です。常に桁違いの声量でチームを全力で鼓舞し、学生トレーナーとゴールキーパーという両方の立場でチームに大きく貢献してきた図工作マスターの彼女が、4年間を振り返ってどんなブログを書いてくれるのか非常に楽しみです!
最後までご覧いただきありがとうございました。